※ caution ※
・無双7史実ルートっぽい設定
・ヒロインの諱(名前)は表現上、漢字一文字を推奨。
・昔の中国(今も?)では結婚後でも、妻→実家の姓、子→父親の姓。らしい(仮)
・むしろ捏造以外見当たらないんだが。


以上を、寛大な御心で了承頂けると助かります。




















花も草も木も、餌を求めて梁を走り回る二十日鼠さえ眠りにつく夜のどん底。

以前は物置代わりだったらしい北部屋の、不自然なほど離れて並んだ2つの窓の一方から、

カタカタと雨戸を揺らす音がする。

最初こそ風のせいかと勘違いするような密やかさであったが、

やがてそれは苛立ちを滲ませながらどんどん大胆になっていき、

最後はあれ?とかくそっ!などと悪態まで混ぜつつ、雨戸を激しくガタつかせた。


「・・・・々・・・」


そう心許ない声で呼びかけられて隣の寝台を見やれば、

夜に慣らしておいた目にさえ黒い塊にしか見えない姉の珊が、恐々と身を起こしていた。

その表情は伺い知れないが、きっとまた、自分のせいで危険な目に合わせているだとか、

実妹の婚期を遅らせてしまうだとか、勝手に心を痛めているのだろう。

今にも作戦の中止を申し出そうな彼女を、立ち上がる事で制して、

はずっと握りしめていた竹箒を、手汗で滑らぬよう構え直した。

未だ煩く騒ぎ続ける窓へ、そっと摺り足で近寄って、

すぐ脇の壁に張り付いてから合図を送れば、


「・・・そ、そこに居るのは誰です?」


と手はず通りの台詞を、少々緊張気味に姉の珊が諳んじた。

その途端ぴたりと沈黙する雨戸を、反吐が出そうな気分で睨みつけていれば、

ややあって、


「昼間、文を投げ込んだ者です。このような時分に失礼は重々承知でありますが、

どうか、ここを開けて下さい。」


と、さっき力尽くで窓をこじ開けようとしていた事など尾首にも出さず、

男の声がいけしゃあしゃあ宣う。

深い夜闇の中、息を殺してこちらの指示を待つ姉へ、

沈黙を続けるよう首を横に振れば、


「お父君の最後の言葉を聞きたくは無いのですか?」


と、鈍い反応に焦れた男が催促してきた。

肉親を亡くしたうら若き乙女を誑かすには、まさに打って付けの誘い文句だ。


(どいつもこいつも、男なんてみんな宦官になっちまえ。)


そう胸中で大いに毒づいていると、


「・・・・少しお待ちを。」


と、珊の固い声が聞こえてきて、どうやらお姉様もやる気になったようだと、はほくそ笑んだ。

わざと衣擦れの音を立てながら足早にやって来た姉と、無言で頷き合ってから窓の閂を抜き取る。

どうぞ、と告げる珊を背に庇って、ゆっくり開いていく雨戸の前に立てば、

差し込んで来る月明かりの下に、鼻の下が伸びきった卑猥な笑顔が現れる。

こちらもとびきり小馬鹿にした笑みを浮かべ、ようこそいらっしゃいませ、とニヤニヤ歓迎してやれば、

謀の成功に得意満面だった小賢しい髭面が驚愕で固まった。


「んなっ!?なんでお前がこ・・・・」


の部屋に?と続くはずだったのだろうが、最後まで聞いてやる義理は無い。

大体、窓が異様に離れてるからって、部屋が別々だと思い込む方がおかしいのだ。

掃除道具としてはもちろん武器としても使い慣れた箒の柄で、喉仏に向かって強烈な突きを入れると、

男はぷぎっと豚のような呻きを残し、呆気無く落ちていった。

間髪入れず、予め用意しておいた水桶の中身を窓の外に向かってぶちまける。

すぐ下の地面に転がったまま痛みに悶絶していた男は、

水責めを食らって情けない悲鳴を上げた。

何しろ二階から落ちたのだ、そう簡単には復活出来まい。


「せいぜいそこで頭を冷やすんだねっ!!」


ばーか、と捨て台詞を吐いて、は憤怒治まらぬまま荒々しく雨戸を閉めた。







『  待ち人来たる  』







東の空がようやくうっすら白み始めた早朝、

日課の落ち葉掃きに出てきたは、まだ朝靄が垂れ込める裏庭へと足を向けた。

昨夜の色呆け野朗がどうなったか確かめに来たわけだが、

どうやら敵は尻尾を巻いて逃げ帰ったようで、

名残といえば下草に残る美しい水滴だけだった。

少し前までは厨から出た野菜屑をぶっかけていたが、後の掃除が面倒なのと、どうしても部屋に匂いが残るのとで、

仕方なく水責めに切り替えたのだ。


(それにしてもまぁ、次から次へと懲りずに湧いて出てくるもんだよ!)


今は開け放ってある部屋の窓を見上げ、

昨夜やってきた夜這い男の間抜け面を思い出し、竹箒の柄がぎしりと悲鳴を上げる。

揃いも揃って似たような嘘で、隙あらば乙女の寝所に押し入ろうとしやがって。

前回の馬鹿は「父君が生前、貴女の行末を案じて私に託されたのです。」だったし、

前々回の馬鹿は「父親の無念を晴らしたくば俺と共に来い。」だった。

他にも「俺は親父を冤罪で亡くしてるから、アンタの気持ちは痛いほど良く分かるんだ。」だとか、

「僕が意地悪な叔父君から可哀想な君を守ってあげるよ。」だとか。

確かに「一目見た時からお慕いしておりました。」なんて比較的まともな口説き文句もあったが、

深夜に押しかけて来て窓の外で鳴き喚いている時点で、発情した猫と同じだ。

もちろん一人の例外もなく、この箒で叩き落としてやったが。

けれど、掃いてる先から降ってくるこの黄色い落ち葉のように、

呼ばれもしない夜の訪問者は後を絶たない。

その原因の一端が、達の部屋と外塀とを橋渡ししている、馬鹿でかい銀杏の木だった。

屋敷の主である叔父には、何度となく切ってくれと頼んだのだが、うんうんと頷くものの、その気が無いのは一目瞭然だ。

それもそのはず。

小賢しい叔父君は亡き末妹の美貌をそっくり受け継いだ珊を、あわよくば己の権勢拡大に利用しようと考えているのだから。

姉妹の部屋を裏通りから丸見えの北側二階に据えたのも、その姿を出来るだけ多くの人目に触れさせるためで、

噂を聞きつけ寄ってくる不埒な害虫をが退治するほど、深窓の御令嬢だと評判は高まった。

おかげで、結婚の申し出が引きも切らず、叔父は目論見通り相手を選び放題。条件をどんどん吊り上げている。


(ったく、分家の末端とはいえ天下の司馬家に名を連ねてる奴が、せっっこい手使うなよなぁ!)


ぎりぎり歯軋りしながら、むきになって黄色い絨毯を掃き散らす。

実姉の婚姻を出世の道具に使われて、が納得していようはずもなかったが、

母が早世し、父も戦死しては、最も近い血縁である叔父の庇護下に入るより他に、

姉妹が生きる道はなかった。

まして、父親は世間じゃ罪人扱いなのだ。

追い出されないだけでも感謝せねば。


(でも・・でも父様は、間違ってない!)


最後まで職務を忠実に果たした父親を、は長い喪が明けた今も誇りに思っている。

父亡き今、望まぬ婚姻から姉を守ってやれるのは自分だけだ。


(私が認めた男以外に姉様はやらん!)


そう決意を込めて、銀杏の大樹を憎らしく睨み上げれば、

一体いつからそこに居たのか、今まさに見知らぬ男がその太い幹を登らんとしていた。


「貴様ぁ、朝っぱらから性懲りも無く!恥を知れ、恥を!!」


もうすぐ朝日も出ようという時刻に、しかもの目の前で堂々忍び込んでくるとは、

余程痛い目を見たいらしい。


「この痴れ者がっ!!」


叩き落として衛兵に突き出してやる、と勢い勇んで箒を振り上げれば、

男の方もようやくこちらに気付いたのか、


「そ、そなたはここの家人か?待つのだ、私は決して怪しい者では・・・!」


と不自由な体勢から首をなんとか捻り、必死に弁解してくる。


「勝手に他人の屋敷へ忍び込んでおいて、今更申し開きとは見苦しいぞ!

どうせ姉様に無体を働くつもりだったのだろう!」


問答無用とばかりに、その無防備な背中へ箒の柄を数回打ちおろせば、


「姉様?無体?何の話をしているのだ!?私はただ・・・わっ!!」


と、女々しく言い訳し続けていた男は、とうとう悲鳴を上げて落っこちた。

すぐさま柄の先をぴたりと喉元に突き付け、反撃を封じると、

は心底軽蔑しきった目で侵入者を睨み据えた。

存外身なりの小奇麗な男は、これまた稀に見る整った顔立ちを痛みに歪めていたが、

視線に気付くと、はっと表情を固くする。

ごくりと喉仏が上下するのが、押し当てた柄の先から掌に伝わってきた。


「ど、どうか落ち着かれよ・・・」

「黙れ。お前のような輩の言い分など、聞くだけ耳が腐る。」


その精悍な容姿に見合った良く通る声を遮って、が容赦なく吐き捨てる。

今すぐ家人に衛兵を呼んで来させようと息巻いて、視線を屋敷の方へ巡らせたのが間違いだった。

無抵抗だった男が急に箒の柄を掴み返したのだ。

しまった、と己の油断に歯噛みしつつ、箒を引き戻そうと試みるものの、

相手は片手、しかも左手だけだというのにびくともしなかった。

それどころか拮抗した状態のまま、悠然と立ち上がってみせる。

改めて対峙すれば、女人では長身の部類に入るよりなお頭一つ分背が高く、

品の良い漢服の上からでも、鍛え抜かれた武人の肉体が見てとれた。

このまま力比べを続ければ確実に武器を奪われ、すなわちこちらの敗北が決定する。

そう思い至るが早いか、は幼い頃から身に刻んできた父の教えに従って、

一瞬だけ引っ張る力を抜いた後、間髪入れず箒ごと男へ向かって突進した。

予想外の動きが功を奏したのか、渾身の突きは寸前で躱されたものの、

無事箒を奪還する事に成功する。

そのまま、ずざっと地を蹴って飛び退れば、

男の涼しげな双眸が、感心するように見開かれた。


「貴殿はどうやら棒術を嗜まれておられるようだな。」


と、心なし親しげに話し掛けてくる侵入者に、は箒を構え直しながら苦々しく眉根を寄せる。


「女人だからと侮っていたか?だが、今更気付いてももう遅い。」


そう不敵に威嚇しながらも、背筋には冷たい汗が流れた。

どんなに修練を積んだところで、の技など所詮は児戯。

兵役に就き、実際に人を殺めた事のある者とでは、覚悟が違う。

実力に雲泥の差がある以上、常に二の手三の手を用意し、

決して自ら勧んで挑むなと、そう教えたのも父である。


(どうする?ここは素直に屋敷へ逃げ込むべきだけど、

家人総出でかかったって、この男を取り押さえられるかどうか・・・。)


いざとなれば、気は進まないが叔父君の権威とやらに賭けるしか無いだろう。

元はと言えば賊の進入経路を放置していた彼が悪いのだ。尻拭いくらい甘んじて受けろ。

そう腹を決めて、が目潰しをくらわすべく、靴の裏でじゃりっと砂の感触を確かめていると、

目の前の男は何を思ったか、降参するように両手を上げた。


(私の油断を誘っといて、その隙に逃げ出そうって魂胆かしら?)


箒を構えたまま遠巻きに警戒すれば、彼の右手に縄のような物がぶら下がっているのに気付く。

それは時折くねくねと動いては、手首に気味悪く絡みついた。

の視線に我が意を得たりと思ったのだろう。


「この蛇を銀杏の枝に見つけてな。毒は無いが、放っておくのも気が咎めたゆえ、

仕方なく捕まえたところだったのだ。」


すぐに済むと高を括ったのが間違いだった、と端整なかんばせに苦笑いを浮かべた大男に、

だがは疑惑の念を拭えなかった。

姉の珊は、実は蛇が大の苦手である。

ちょっとチラつかせれば、いとも簡単に籠絡出来るだろう。


(まさか、この男それを知っていて・・・・)


と、ますます目付きが剣呑になるに、男は情けなく眉尻を下げ、


「確かに少々説得力には欠けるかも知れぬが、本当なのだ。

手間をかけさせて申し訳無いが、ここまで来て幹を見てほしい。」


そう諸手を上げつつ、木を指差す男の言い分を一応確かめてみようと、

視線を外さぬまま摺り足で銀杏の根元に近寄る。

すると、丁度枝の分岐点となっている部分に小さな洞が出来ていて、

ぴんと耳を立てた小さな顔がのぞいていた。


「・・・・栗鼠?」


と誰に問うでもなく呟けば、いつの間にかすぐ隣に並んだ男が、


「私が見つけた時には、最早巣へ押し入られる寸前であった。

中に仔でも居たなら、今頃は全て食い尽くされていただろう。」


どうしても見逃す事が出来なかったと、照れ臭そうに笑った顔が、

立派な体躯に不釣り合いなほど純真で、ついつい戦意を殺がれてしまう。


「・・・では、本当に我が姉の寝所へ忍び込もうとしたわけでは無いのですね?」


と、再度念を押せば、彼の存外色の白い頬がほんのりと赤く染まった。


「にょ、にょ、女人の寝屋に忍び込むなど、そのような不埒は断じて許されぬ!」


と、生真面目にどもる好青年に、はとうとう箒を降ろした。


「先ほどのご無礼、どうかお許し下さい。

このところ、この木を伝って侵入してくる不貞の輩が後を絶たず、貴殿もその一人かと早合点致しました。」

「いや、主の許可も得ず、塀を越えたのは私の落ち度だ。

いらぬ騒ぎを起こしてしまい、申し訳なかった。」


直角に腰を折り、打って変わった神妙な態度で謝罪するへ、

男のほうも真摯に頭を下げ返した。

ようやく誤解が解けたところで、これはどうしたものだろうかと、

未だニョロニョロ抵抗を繰り返している蛇を、目の前に差し出される。


「皮を剥いで日に炙れば、なかなかに美味いが・・」


と言われ、まさか食す事を勧められると思っていなかったは、思わず噴き出してしまう。

見れば見るほど凛々しい美丈夫は、何かおかしな事を申しただろうかと、

その短く切られた艶やかな黒髪を居心地悪そうに撫で付けた。


「い、いいえ何も。ですが、その蛇は元々床下などに潜んで、鼠や百足などを退治してくれる家蛇で御座います。

このような目に遭ったのですから、もうこの木には近付かないでしょう。どうか放してやって下さいませ。」


そう頼み込めば、彼は心得たとばかりに頷いて、地面へと蛇を放してやった。

その細長い体を懸命にくねらせ、一目散に逃げる蛇を見送りつつ、


「ところで、先程私から箒を奪い返した手並み、実に鮮やかであらせられたな。」


と、好青年が屈託無く褒めてくる。


「あ、あれはその・・」


と、途端に顔を真っ赤にして、はもごもごと押し黙った。

なにしろ、彼女に棒術を仕込んだ張本人である亡き父親ですら、褒めてくれたのは数えるほどで、

大抵は、女だてらに、だとか、女人にあるまじき、などと咎められるのが常であった。


「御見苦しい様を、失礼致しました。」


とて気は強いが年頃の娘、こうも見目の良い男に武勇を称えられたのでは、居心地が悪い。

散々振り回していた箒を両手で抱き込むように握り締め、今更しおらしく視線を伏せる。


「いや、不利と見てからの果断な動き。かなりの研鑽を積まれたものとお見受けした。」


全く悪意の無い嫌がらせに、がもう勘弁してくれと身を縮めて恥じ入っていると、


々?一体誰と話しているの?」


と、一連の騒動の原因もとい被害者である姉の珊が、仙女の微笑みを浮かべながら、

建物の角から姿を表した。

早朝の柔らかい陽光は、その憂いを帯びた可憐な美貌を儚く際立たせ、

しずしずとした足取りは風に揺れる柳のごとく優美である。

いつの時代も傾国と呼ばれる美女は存在するものだが、

珊の透き通るような佇まいはまさに、ある種の男心を強烈に惹きつける類の美しさだった。

かたやはといえば、骨太の骨格に高い上背。

屋外での仕事を率先して請け負っているため、肌は健康的に日焼けし、

日々欠かさぬ棒術の鍛錬が更に拍車をかけていた。

性格も、貞淑な姉と、勝ち気な妹で、見事に正反対。

同じ父母を材料にして、こうも似つかぬ姉妹が出来上がるのだから、

天というのはまったく不公平なものだ。

さりげなく隣に立つ青年の表情を伺えば、

予想通り、ぽかんと惚けた間抜け面で珊へと目を釘付けにしていて。


(はぁ・・・短い春だったわ。)


と、恋とも呼べぬ淡い感情を、噛み砕いて喉の奥に流し込んだ。

やれやれと肩を竦めつつ、姉へと視線を戻しただったが、

上機嫌で歩み寄ってくる彼女の進路上に、逃亡中の蛇を発見する。

このままでは、鉢合わせは必至。


「姉様!こっちへ来てはっ・・・」


血相変えてが怒鳴るのと、珊の柔和に弧を描いた瞳が足元の災厄を見止めるのは、

悲しいかな、ほぼ同時であった。

一息置いて、絹を引き裂くような悲鳴が耳を劈ざき、朝のしじまに響き渡る。

そのまま、ふわっと羽が舞い落ちるように倒れ伏す天女の横を、

蛇は何事も無かったかのように通り抜けて、藪へと身を消した。

美人はみっともなく仰天し腰を抜かそうとも絵になるんだから羨ましい。

が場違いな感想を抱きつつ、声をかけようと足を踏み出したところで、

すぐ横を黒い風が疾走した。

え・・・、と目を点にした時には、先ほどの好青年が深刻極まりない表情で、

姉の細身を軽々と抱え上げていた。

横抱きにされた珊の方も、同じく目が点である。


「どちらへ運べば!?」


そう短く尋ねられ、その気迫に気圧されしつつ、玄関の方を指差す。

すぐに迷いの無い足取りで颯爽と姉を運んでいく背中を、唖然と見送っていたも、

ふと我に返ると慌てふためいて追い駆けた。

遅れて入った玄関内は、既に大騒ぎとなっており、

家人達がそれぞれ水を用意しに行ったり、主を呼びに行ったりしている中で、

あの青年だけが冷静に、備え付けられた長椅子へと珊を降ろしていた。

身を起こそうとする彼女の肩をやんわりと押さえつつ、


「頭を打っておらねば良いが・・・」


と、わざわざ片膝を付く。

二親を亡くして以来、姉を助けるのも、心配するのも、ずっとの役目であったのに。

女の自分ではどうしたって真似出来ない力強さにムッとしながら、

ぐいぐい彼を押し退けて、珊の正面を陣取る。


「もう。あれほど外に出てはいけないと注意されていたのに。義叔母上と一緒に朝餉の支度をしてたんじゃないの?」

「だって、々の怒鳴り声が聞こえたから、何かあったんじゃないかと・・・」


その割にはのんびりしたご登場でしたね、とは口に出さず、

変わりに小ぢんまりと品の良い鼻を摘み取る。

ほんのり赤くなった鼻頭を押さえ、酷い、と可愛らしく拗ねる姉を呆れ顔で見下ろしていると、


「まぁ!一体これは何の騒ぎかしら。」


さん?と最初からが元凶と決め付けながら、しかめっ面の義叔母が現れた。

叔父の正妻である彼女は、かの霊帝の血縁に当たるとかいう眉唾話が自慢の自称貴族で、

その分、日頃から対面を繕う事に心血を注いでおり、

の隣に跪く見知らぬ若者に気付くと、慌てて胡散臭い愛想笑いを浮かべた。

白髪が多分に混じる髪をいそいそ整えながら、


「これはこれは、御客様がおいででしたのね。御無礼を致しました。

わたくし、この屋敷の主である司馬伯堅の妻で、劉氏と申します。それで、本日はどのような・・・」


と、猫撫で声でにっこり尋ねる義叔母へ、


「蛇に驚いて倒れた姉様を、ここまで運んで来て下さったのです。」


そう、簡潔に説明してやれば、眦に赤く色粉を引いた釣り目が、ギロリと睨み付けてくる。

黙ってろ、と無言で威圧され、仕方なく口を閉じれば、義叔母は分厚く白塗りされた頬が赤く染まるほど、

うっとりと美丈夫に微笑みかけた。

あからさま過ぎる態度を、がげんなり胡乱な目で眺めていれば、


「まったく!これはどういう事だ。今度は一体何をした、!」


などと、またしてもを一方的に非難しながら、神経質そうな初老の小男が現れた。

その昔、高祖(司馬懿)から下賜されたとかいう冠を、幸が極めて薄くなった頭に無理やり付けた叔父上は、

義叔母に詰め寄られてたじたじの青年を見付けると、にっこり作り笑いを貼り付けた。

髪とは対照的に黒々と茂った眉毛を弄りつつ、


「これはこれは、御客様がおいでとは知らず、御無礼をお許し頂きたい。

私めはこの屋敷の主で司馬伯堅と申す者。して、本日はどのようなご用件で御座いましょう。」


と、澄まして問う叔父に、が先ほどと同じく簡潔に説明しようとしたが、


「蛇に驚い・・・・」

「黙りなさい。御客様の御前だぞ。」


そう、今度は最後まで言わせてすらもらえなかった。


「いえ、私はただその・・・」


と、二対のどことなくギラギラ獲物を狙う瞳に見詰められ、好青年は四苦八苦しながら言葉を濁す。

ちらりとへ目線を送ってきたのは、外での出来事を包み隠さず説明するか迷っているからだろう。

苦笑いしながら、小さく首を横に振れば、ほっとしたように息を吐き、


「悲鳴を聞きつけ、何事かと門前より伺いましたところ、女人が倒れておられたため、

失礼ながら敷地内へ入らせて頂き、ここまで運んで参った次第です。」


と、咄嗟の方便にしては上手く誤魔化した。


「それはそれは、当家の者を助けて頂きまして、誠に有難う御座います。

これは私めの姪で、字を柚唖と申します。」


そう言って、身を起こし居住まいを整えた珊を、一押しの逸品とばかりに紹介する。


「ほら、お前達からもちゃんと御礼を申し上げろ!」


そう急きたてる叔父に従って、姉が慎ましく座礼したため、もしぶしぶ頭を下げれば、


「怪我人を助けるは、君子として当然の務め。礼には及びませぬ。」


未だ名も知らぬ青年は、その精悍な顔をいかにも誠実そうに破顔した。

それは素晴らしい心がけですなぁ、などと叔父夫妻がわざとらしい笑い声を振りまいている中で、


「ところで、さしつかえが無ければ貴殿の名も教えて頂けないだろうか。」


と、青年は場の雰囲気も省みず、すっかり蚊帳の外だったに向け尋ねてくる。


「失礼ながら、私の名をご所望であらせられるならば、

まず貴方様の御名前をお聞かせ願います。」


この、誰からも好漢と評されているだろう男に、私は違うぞ、と意地を張ってしまいたくなり、

はわざと正論をかざした。

別に、ついでのように名を聞かれたのが気に食わないのではない。決して。


!この無礼者がっ!お前はもう引っ込んでいなさい!」


と、年々拡大の一途をたどる額に青筋を浮かべ怒鳴り散らす叔父を、当の青年が宥めると、


「もっともな諫言、感服つかまつった。私は文鴦、字を次騫と申す。どうか、貴殿の名をお教え下さい。」


そう真っ直ぐこちらの目を見て、軽く拱手する。

さすがにそこまでしてくれるとは思ってなかったは、内心たじろぎながらも、

丁寧に腰を折り、拱手を返す。


「私は、柚唖の妹で字をと申します。

生意気な口を利きましたこと、どうか御容赦下さいませ。」


真摯に謝罪し、伏せていた目をちらりと上げれば、

彼は満足そうに、殿か、との字を反芻した。

勝手に熱くなる耳殻に困惑しながら、視線を逸らすと、

たまたま視界に映った叔父が、打って変わって侮蔑の眼差しを彼に向けているのに気付いた。


「文鴦殿、此度は姪をお助け頂き誠に有難う御座いました。

しかしながら、万一体に障りがあっては今は亡き妹に顔向け出来ぬため、柚唖はもう部屋へ戻らせます。」


口調こそさほど変わっていないものの、明らかに先ほどより温度の下がった申し出に、

だが文鴦はもちろんだと快諾した。

ほんの少しだけ瞠目したところを見ると、叔父の心変わりに気付かなかったわけでは無いのだろうが、

彼は相変わらず誠実な態度で、


「それでは私もこれにて失礼させて頂きます。

行き掛かりとはいえ長居をしてしまい申し訳ありませんでした。」


そう言って厳格に拱手する。

こちらもおざなりに拱手を返した叔父は、もはや彼の目には一時も触れさせたくないとばかりに、

家人をけしかけて珊を自室へと追い遣った。

そうしておいて、


「貴方様は姪の恩人ですもの。またいつでもいらして下さいましね。」


などと、夫の変化に気付かず再訪を期待している義叔母へ鋭い流し目をくれると、


、文鴦殿を門までお送りしろ。」


と、そっけなく命令した。

さして気を悪くした様子もなくさっさと玄関を出た文鴦を追いかけるの耳に、


「日和見の謀反人め・・・。」


と、蔑みに満ちた中傷が飛び込んでくる。

はっとなって振り向いたものの、吐き捨てたはずの叔父は、

既に妻の態度を叱り付けながり踵を返していた。

その背に真意を問うた所で答えてくれるとも思えず、

は疑念を抱えたまま、言い付けを果たすべく外へと駆け出した。

急いで文鴦の姿を探すと、彼は開け放たれた門の外で、

律儀に見送りの到着を待ってくれていた。


「わざわざお待ち頂き申し訳ありません。」


そう詫びつつ早足に歩み寄れば、涼しげな目元を柔らかく綻ばせ、


「いや、勝手に出て行くのは礼に反すると、そう思ったまでのこと。」


と、労いを口にした後で、


「もはやここは屋敷の外で、居るのは私とあなたのみだ。畏まるのはやめにしよう。」


先程私を箒で滅多打ちにしてきた時の形相はそら恐ろしかったと、軽口を叩く。

いきなり砕けた態度に少々憮然としたものの、悪い気はせず、


「お望みなら今すぐ再現してあげましょうか?」


そう言って、口の端をニヤリと吊り上げた。


「いやっ、それはご免こうむりたい!」


と、慌てて降参する彼は、だが実に楽しげで、

内心叔父の言動に気分を害しているのではと心配していたも安心する。


「・・・良かった。」


と、自分でも気付かず零れた安堵に、文鴦はどういう意味かと目で伺ってきた。

何でもないと誤魔化す事も出来たが、

叔父の捨て台詞で点いた好奇心の火を、どうしても消しきれなかった。


「えぇと・・・叔父上の態度がちょっと露骨だったから、もしかして怒らせたんじゃないかって・・ね。」


一応姉様を助けてもらったのに、と疑問を滲ませつつ、上目遣いで青年の表情を探れば、

彼は凛々しい面立ちを諦念で曇らせ、


「私は、罪人だからな。叔父君が姪御から遠ざけようとされるのも無理からぬ事。」


そう、知りたかった事実をあっさり教えてくれる。

けれどには、目の前の、絵に描いたような好青年が、

法を犯すような無頼漢には到底見えなかった。

今ならば、彼が夜這いなんて卑劣な所業をするはずないと断言出来る。

詳しい経緯を勢い勇んで尋ねようとしたところで、

背後からコホンとわざとらしい咳が上がり、

慌てて振り返れば、遠く玄関先で家人の一人が非難めいた視線を送ってきていた。

どうやら、屋敷の門前で未婚の男女が仲睦まじく歓談するのは世間体が悪いと、そう嗜めているらしい。

無言の批判を受け、


「こ、これはすまない。あなたと話していると、ついつい女人である事を失念してしまうのだ。」


と、こちらは朴念仁のきらいもあるらしい文鴦が、

謝ってるんだか喧嘩売ってるんだか分からない弁明を早口に言い募った。

まぁ、出会いが出会いだったから仕方ないだろうが、それでもあんまりな言い草だ。


「そりゃこの成りじゃ、女と思われなくても仕方ありませんわよねぇ。」


そう不穏な笑みを浮かべつつ、脅すように箒の先で小突く真似をすれば、

ようやく失言に気付いた青年が、


「いや、あの、悪い意味では無くてだな。私は元来女人に接するのが苦手だが、

あなたはとても気安いというか、女人と意識せずに自然体で・・・えぇと。」


なんて、弱腰の釈明を繰り返すも、悪化の一途を辿っていく。


(笑うな、笑っては駄目だ!)


と、必死にしかめっ面を取り繕ったが、とうとう堪え切れずに噴き出した。

極めて大きな図体を情けなく丸めていた好青年は、

人目も忘れて大笑いするに憮然とするでもなく、色白の頬をほんのり赤らめて、

参ったなと、しきりに自らの頭を撫で摩った。

さやさやと、豊かな黒髪が揺れる。


「っふふ、別に気にしちゃいないよ。言われ慣れてるしね!」


と、散々笑い倒した後で、適当な慰めを口にすれば、

案外単純らしい青年は、たった一言で安堵したようだった。

ゴホッゴホッと先ほどよりもっと激しい咳が飛んできて、

油断していたも文鴦もギクリと肩を竦める。


「そろそろ本当に失礼せねば、殿が叔父君に叱責されてしまうな。」

「今更だって。どうせ私が何やったって気に食わないんだからさ、叔父上殿は。」


妹を早死にさせた憎い男そっくりの跳ねっ返りが気に食わないのだ。

ふんと、鼻で一蹴すれば、彼はその意志の強そうな眉を困ったように下げて、


「私も叔父君の不興を買った身だが、もし許されるなら、またあなたに会いに来ても良いだろうか。」


そう尋ねてきた。


「い、いや。この地に来てまだ日が浅く、顔見知りも少ないので、話し相手になって欲しいのだ。」


と、しどろもどろ付け加えられた台詞に、ははーんと、目を細める。


(一体何年姉様の妹やってると思ってんだい。)


と友誼を交わす振りをして、あわよくば美貌の姉とお近付きになろうという輩を幾人も見てきたのだ。

でもまぁ、この男にならば姉を託しても良いのではないかと、

そういう気持ちがほんのちょっぴりだけ芽生え始めていなくもない。


「構わないよ。私は大概庭仕事やら洗濯やらで外に出てるから、塀越しにでも呼んで頂戴。」


叔父上に見つからぬ様こっそりね、と二つ返事で了承してやれば、

彼は端整な顔を心底嬉しそうに破顔した。

この青竹のような美丈夫と、仙女のような姉とが並んだ姿はさぞ絵になるだろう。


「それでは、また後日に。」


と、力強く拱手して去っていく大きな背中を、箒をつっかえ棒にして行儀悪くその柄に顎を乗せたが見送る。

丁度、街並みの向こうから差し込んできた強烈な朝日で、文鴦の後姿は黄金色に輝いていた。






















MEXT




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文鴦っつったらやっぱり不運・不憫・不慮の三重苦だと思うのww