※ caution ※
・『敗者にくちなし』既読推奨
・なんちゃって正史寄り無双
・陳宮反乱→対ゴキブリ濮陽奪還戦→d兄「目玉ドコー」曹操軍敗走→イナゴ襲来で長期睨み合い→今ここ
・安定のオリキャラ氾濫。
後半グロ注意。流血表現有り
・捏造したっていいじゃない、人間だもの。

以上を、御了承頂けると大変助かります。


























友にからかわれた事がある。
見ているだけで良いのかと。
暢気に頷いたあの日の自分を双鉤の錆にしてやりたい。











『  柳、芦原、かざぐるま  』











あーあー、なんて面してんだよ。

隣に立つ李典の呆れ声で、
楽進は自身が撒き散らす殺気にようやく気が付いた。
彼の皮肉がもう少し遅かったなら、
頭を沸騰させたまま後先考えず突撃していただろう。
この期に及んでもまだ未練がましく、
想い人へと吸い付いている視線を引っぺがし、
唇を引き結んで俯く。
黙り込んだ楽進へ、

「ちょっと取り乱し過ぎだろ?別にどっかへ嫁ぐってんじゃ無いんだし。」

そう言って、仕官以来の友人はやれやれと首を振ったが、
愕然と見開かれた鳶色の目に見つめ返され、げんなり顔を顰めた。

「だから落ち着けって・・・つうかさぁ、さっさとものにしとけって何度も忠告したよね、俺ぇ?
そういつまでもガキのまんまなわけないだろ。」

女は生まれた時から女なんだぞ?と、
ごくごく当たり前の事をしたり顔で諭してくる李典に、返す言葉も無い。

分かっているつもりだった。
彼女が他の誰かに心奪われる事だってあると。
それでも、上官という立場から一方的に思慕を押し付けて、
無邪気な少女を無理矢理変えてしまいたくなかった。
あの天真爛漫な言動を奪うくらいなら、
幼い羨望がいつか恋に変わる日を淡く夢見て待とう。
そう思っていたはずなのに。

荀ケ直々の要請で、古巣の手伝いをした帰り道。
通りすがった厩にの姿を見付け、臆面もなく顔を綻ばせた楽進へ、

「お、ピンときた!あれは好きな男でも出来たな。」

と、たまたま同道した李典がお得意の勘を披露した。
耳から入った無慈悲な宣告は、全身の血潮を一瞬にして凍り付かせ、
胸中に荒れ狂う業火を点す。
ただ見守るだけで満足だなんて、そんな綺麗事は微塵も残さず吹き飛んだ。

取り繕わない朴訥な笑顔。
喜怒哀楽を全身で伝えようとする仕草。
そして何より、血と泥に塗れてなお歪まぬ直ぐな魂。

楽進が愛おしむそれら全ての独占を許された男が居る。
そう思うと五臓六腑を真っ赤な憎悪が満たした。

「しっかし、驚いたぜ。楽進が一番槍以外に執着するなんてさ。
あんた大概の事はあっさり身を引いちまうだろ。それがまあどうよ?」

放っといたら確実にあの娘を拉致してたね、と李典が冗談めかして笑う。
あながち否定出来ず、

「・・止めて頂き恐縮です。」

と楽進が神妙に謝れば、これで中々面倒見の良い友人は、

「なんで?そんだけ長く片想いしてりゃ、拗らせもするさ。
むしろそういうの良いと思うぜ、俺。
あんたはもっと色々欲しがれよ。この際奪っちゃうのも有りだろ。」

そう言って、俄然焚き付けてきた。
瞳の奥に焦燥の残り火を燻らせ、楽進は苦笑しながら前方へと視線を戻す。
こちらの煩悶など知る由も無い娘は、
閑散とした厩の端で甲斐甲斐しく愛馬の世話を焼いていた。
いつから伸ばし始めたのか、後頭部に高く束ねられた黒髪が、
動きに合わせて楽しげに揺れる。
尻尾のようなそれは、兵装を纏っていない彼女をより一層愛らしく見せたが、
李典の予感が脳裏を過ぎれば、浮かびかけた微笑みは虚しく霧散した。
空になった飼葉桶を両手に抱え、ふと空を遠望する横顔は息を飲むほど美しく、
少女が自ら望んで羽化を始めたのだと知る。
瑞々しい唇から、溜め息と共に零れ落ちる憂いは、
一体誰を想ってのものなのか。

「・・・・李典殿、私はここで失礼致します。」

今彼女に会わねば絶対に後悔すると、決意を固めて隣を見やれば、
李典はどこか嬉しそうに呆れ顔を作り、

「ったく、そう言うって分かってたぜ。けど、あんたその恰好で行くのかよ?」

ちょおっと締まらないんじゃないか?と楽進の着ている文官服を眺め回した。
郷に入れば郷に従えというわけでは無かったが、
帳下の吏に混じって筆仕事をするのに、
いつもの戦装束では居心地が悪かったため、
文官時代に着ていた漢服を引っ張り出してきたのだ。

「いえ、これで大丈夫です!行って来ます。」

少々色褪せた袖口を一撫でし、楽進が面映く笑う。
巡り合わせというものなのか。
この青墨色の深衣は、くしくもを天幕に招いたあの夜にも着ていたものだった。
気の置けぬ仲であるにも関わらずきっちり拱手してから踵を返す楽進に、
李典はひらひらと手を振りながら、

「気張んのはいいが、くれぐれも自重しろよ!いきなりは駄目だからな、楽進!」

なんて意味深な忠告を寄越してくる。
この先どうなるか既に知っていそうな口振りの友人に、明るく送り出され、
楽進は玉砕覚悟の一歩を踏み出した。




偵察部隊用に設えられた厩舎は、殆どの厩房が空っぽで、
いつもは忙しなく走り回っている馬丁達も、大半が出払っているようだった。
たまたま行き違った兵卒がかなり通り過ぎてから大慌てで跪き、
失礼致しました、と声を張り上げる。
どうやらこの服装ではすぐに将と気付かれないらしい。
己の凡庸な風体に恥ずかしさを感じながら、
楽進は彼が気に病まぬよう笑って拱手を返した。
床に散らばる干草の切れ端を靴裏にくっつけつつ、長屋の列をいくつも抜ければ、
やがて目的の通路へと達する。
まではまだまだ距離があったものの、
相棒の青馬はいち早くこちらに気付いて首を持ち上げた。
彼の主人もまた釣られて振り返ったが、
心当たりの無い来訪者にきょとんと首を傾げている。
構わずどんどん歩みを進めれば、互いの顔がはっきり見えるようになった所で、
あぁ!っと分かり易く歓声が上がった。
途端に全速力で駆け出す少女の、
色良く日焼けした頬に片笑窪を見つけ、面映く目を細める。
軽やかに弾む痩身からは、
嬉しくて仕方ないという気持ちが輝かんばかりに溢れていて、
勢い勇んで抱えてきた疑念も決意も全て霞んでしまった。

「やっぱり!楽将軍だ!!」

わずか十丈ほどの距離を息せき切って走り込んできたが、
童のような口振りで叫ぶ。
それでいてあたふたとその場に跪くと、

「ご無礼をお許し下さい!
将軍自らの巡視、誠に・・あれ?えぇと・・あ、こ、幸甚の至り!」

そう、今更のように畏まる。
しどろもどろの言葉遣いがなんとも愛おしく、

「ご挨拶を頂いて大変恐縮なのですが、軍務で来たのでは無いのです。
たまたま殿をお見掛けして、どうしても会いたくなってしまい、
押し掛けて参りました。」

そう、包み隠さず正直な理由を告げた。
一瞬呆気に取られた娘は、すぐにふにゃりと相好を崩し、
えへへそんな、なんてもじもじ頭を揺らす。
けれど、楽進の爪先あたりをうろついていた視線がビクッと停止し、
下からゆっくり上がってきたかと思うと、見る見る顔色を青くした。

「嘘ぉ・・そんなっ!楽さん、その格好ってまさか・・嘘だぁ!!」

突然悲壮な悲鳴を上げたが、頭を抱えて勢い良くしゃがみ込む。
どうも何か勘違いしているようだが、
咄嗟に上手い説明が思いつかず楽進もおたおたと狼狽えた。

「どうしよっ・・楽さんの夢が・・私、取り返しのつかない事しちゃったぁ!」

今にも涙が零れ落ちそうな目で縋るように見上げられ、無意識に喉が鳴る。

「だ、大丈夫です、詩瞬殿!この姿は帳下の吏のお手伝いに参じたからで、
決して将から降格されたわけではありません。」

湧き上がった不埒な情動を誤魔化すように、早口で彼女の懸念を解けば、
へ?と気の抜けた返事が返ってきた。
真っ青だった童顔は急激に上気し、

「そ、そりゃそうだよね。あれからもう随分経ってるんだもん。
今更、お叱りなんか受けないよね。」

うわぁ、馬鹿だよ私!と己の早合点を嘆く。
赤くなった頬を両手で挟んで項垂れるに、もう一度、大丈夫です、と告げれば、
彼女は慌てて立ち上がり勢い良く頭を下げた。

「申し訳ございません!先程から無礼の数々・・ああもう、何してんだろ!
私、楽将軍にお会いできて凄く嬉しくって、
それで、舞い上がっちゃったもんだから、ええと・・」

ふさふさの尻尾までこちら向きにお辞儀させて、言い訳を捲し立てる姿は、
記憶の中の少女となんら変わっておらず、
楽進はついつい噴き出してしまう。
堪えようと思えば思うほど笑い声が漏れてしまい、
のへの字眉がますます情けなく垂れ下がった。

「っはは・・私の事は楽さんで構いません。
双鉤も持ってきておりませんし、将であると気付く人は少ないでしょう。
今の私は帳下の吏の楽文謙です。」

彼女は不敬だと思い込んでいるようだが、楽進からしてみれば嬉しいばかりで、
せっかく二人きりなのだからと欲を出す。すると、最初こそ逡巡したも、

「でも・・・・・いいの?本当に?」

とおずおず期待の眼差しを向けてきた。
1つ頷いて肯定すれば、化けの皮は呆気なく剥がれ、

「もぉお、絶対今ので寿命が縮んじゃったよ。
私の勘違いで本っっっ当に良かった!」

そう、心底安堵した様子で大仰に胸を撫で下ろす。

「それにしても、その服すごく懐かしいねぇ!
楽さん、私と初めて会った時にもこれ着てたんだよ?」

知ってた?なんて、楽進の回りをじっくりと一周しながら、
好奇心旺盛な娘は、腕と言わず背中と言わずぺたぺた触ってきた。
無遠慮な接触と、そんな瑣末な事すらも覚えてくれていた喜びに、
体温が急上昇する。
ぽっぽと顔を火照らせながら、もちろんです、と答えれば、
彼女はますますくっきり片笑窪を頬に刻んだ。

「でも、今の楽さんには小さいね。腕回りとかちょっと動かしただけで破れそう。」
「ええ、まぁ多少は。あの頃に比べれば随分戦で鍛えられましたから。」
「いいなぁ、筋肉がついて。私なんかほら、ぜーんぜん。」

そう言って、急にが長袖を肩口までめくり上げたものだから、
日に焼けぬ白い二の腕が露になり、楽進の心臓が跳ね上がる。
彼女が言うほど貧弱では無いものの、
自分と比べてしまえば実に柔らかそうな細腕で、目の毒この上ない。

「し、殿も、会ったばかりの頃に比べれば、充分偵察兵らしくなっておいでです。」

急いで視線を逸し、それらしい賞賛でお茶を濁せば、
零れ落ちそうなほど大きな目を輝かせ、本当に!?と詰め寄ってくる。
至近距離から放たれる罪作りな視線に耐えかねて、

「そ、それに随分髪も伸びましたね。」

なんて、取ってつけたような話題で逃げを打つ。
すると、未だ不躾にこちらの腕を揉んでいた手が離れ、
は罰が悪そうに唇を尖らせた。

「うん、なんていうか、さ。長い髪も悪くないかなぁなんて・・・ははっ。」

珍しく歯切れの悪い彼女の物言いに、じわりと不穏な勘繰りが湧く。


貴女が慕っているのは長い髪を好む男なのですか?


思わず出掛かった詰問を飲み下し、
落ちつきなく視線を泳がせている彼女を見詰めれば、

「いやぁ随分前に、父ちゃんと喧嘩になっちゃってさ。
せっかく奮発して買った笄なのに、笄礼で挿したっきりじゃ勿体無いだろって。
髪の長さが足りないって言い返したら、じゃあ伸ばせって言うし。
私、親不孝ばっかりだったから、
少しくらい父ちゃんのお願い聞いてあげようと思ったんだよ。」

そう、照れ臭そうに説明した。
例の乱闘騒ぎの際に彼女の家族が蒙った心労を思えば、
父親からの風当たりが何かと強くなって当然だ。
その遠因である楽進としても、範に対しては謝罪して余りある思いだった。

「なるほど、それは確かに親孝行になりますね。」
「でしょ?花の一つも飾れるようになれば、
私でも少しは女らしく見えるかも、しれない・・・し。」

そう言ってはにかんだ彼女は、卑屈な台詞も相まってどこか頼りなく、
伏せられた長い睫が微かに震えている気がした。
じわじわと膨れ上がる焦燥を堪え、殿、と気遣わしげに名を呼んだ楽進へ、
彼女はわざとらしく大声を張り上げる。

「そんな事より、もっと剣の腕を磨かないと!
今日もさぁ、本当は朝から出撃する予定だったんだけど、
今回お前は戦力にならないから留守番って、隊長に厳命されちゃってさ。
弓なら前よりマシになったんだけどなぁ。」

いじけて、ちぇっと舌打ちするには悪いが、董卒伯の判断は正しいと思う。
恐らく彼等が参加しているのは、
夏侯淵を大将とした濮陽近辺への威力偵察なのだろうが、
何しろ相手は呂布軍が誇る、野戦最強の軽騎部隊だ。
敵方の哨戒経路を把握するための小競り合いといえど、油断は出来ない。
昨年の、濮陽城における敗戦で、
呂布配下の苛烈な戦いぶりを肌に刻んだ楽進からしてみれば、
彼女を置いていくと決断した董卒伯に感謝したいくらいだった。

「いずれ近い内に、殿にも出番が回ってきますよ。
蝗害の余波も幾分治まってきたようですし、
昨日郭軍師にお会いした時、そろそろ動くと仰せでしたから。」

いつまでも呂布とばかり遊んではいられないからね、と柔和に笑った俊才の口振りには、
必勝を確信する響きがあった。
思い付く精一杯の励ましに、彼女はそっか、と頷いて、またしても空を仰ぐ。
陰りを含んだ横顔は間近で見ても今までと趣を違えた美しさで、
もしや出撃した斥候兵の中に想い人が居るのだろうか、と昏い想像が肺腑を焦がした。
堪えきれず、

「・・・・・心配ですか?」

と遠まわしに尋ねれば、はっとこちらに振り返った彼女は、
苦しげに眉根を寄せ、こくりと頷いた。
何のてらいも無く肯定され、絶望が全身に染み渡る。

「そんな顔しないでよ、楽さん。そりゃ、すごく心配だけどさ。
父ちゃん達なら上手く逃げ果せてるって信じてるから。
ずっと前、黄巾賊に襲われた時だって全員無事に生き延びたし。」

だから大丈夫、と無理矢理笑顔を作るを見て、
楽進は己の愚かさを痛感した。
彼女の家族が濮陽の外れで馬飼いをしている事は、既知の事実であったはずなのに、
すっかり失念し、存在すら定かで無い恋敵に固執するなんて。
重く肩に圧し掛かってくる悔恨に、
いっそこのまま地面にめり込んでしまえたならと願いながら、
彼女の顔をまともに見る事も出来ず、すみません、と謝る。

「変なの。なんで楽さんが謝るのさ。」

そう言ってはクスクス笑うけれど、
楽進には、すみません、と同じ言葉を重ねる事しか出来なかった。
仕方ないなぁ、と小生意気にしかめつらしい顔を作った娘は、
あろうことか彼の尻を思いっきり平手でひっぱたく。
妙齢の女人に、しかも片恋の相手にそんな事をされるとは予想もしておらず、
楽進は肌と言う肌を真っ赤っ赤に茹で上げると、
餌を求める鯉のごとく口をぱくぱくさせた。

「あはは、元気になった!残念だけど私じゃ父ちゃん達を助けてあげられないもん。
楽さんには絶対濮陽を取り戻してもらわないと困るからね。
頼りにしてますぜ、将軍!」

偵察部隊の間で流行っているのか、
彼らの口真似をしながら突き出してきたの拳に、苦笑いで拳を合わせる。

もう。
彼女が誰を想っているかなんて、考えるのはやめよう。
結局自分はこの無垢な魂に惹かれずにはいられないのだから。
これから先、彼女がまた憂いに沈む事があれば、必ず側にいて支えとなろう。
助けが必要な時、掴める手がここにあるのだと、ちゃんと伝えよう。

指を開いて、一回り以上小さな拳をやんわり包みこめば、
にししと歯を見せて笑っていた娘は、ぎこちなく固まった。
そのままもう片方の手も出して、両掌に恭しく納めると、
はいよいよ居心地悪そうに身じろぎを始める。

「ど、どしたの?」

不安げな問いに、無言で彼女の目を見詰め返し、

殿。僭越ながら、私は貴女にもっと頼られたいんです。
勝手なお願いで誠に恐縮ですが、
貴女の悲しみや不安を、私にも分けては貰えませんか。
我ながら粗忽者ですので、慰めにもならないでしょうが、
それでも一人で苦しむよりはずっと良いはずです。」

どうか貴女を愛させて、と最後の一文は飲み込んで、
楽進はじっと答えを待った。

「や、やだなぁ!私はもう大丈夫だよ?
久しぶりに楽さんにも会えたし、えと、元気出たからさぁ・・!」

先ほどの楽進に負けず劣らず顔を赤く染め上げ、声をひっくり返しながら、
が手の奪還を試みる。
遠慮がちに引っ張られる拳を、がっちり捕まえて離さないでいると、
彼女が降参する前に、無粋な横槍が入った。

「へぇ?今頃仲間は命張ってるってのに、てめぇは男連れ込んで乳繰り合ってるわけか?
斥候部隊最速がこんな小娘とは、がっかりだぜ。」

かなり遠くから聞こえてきた銅鑼声に、を背へと庇いつつ振り向けば、
兵卒が4人、通路の入り口から向かってきているのが見えた。
年の頃からいって、入隊したての新兵だろう。
どれもこれも粗暴そうな強面で、上背も楽進より軽く頭一つ分は高かったが、
歩き方、立ち姿、全てにおいて隙だらけだ。
武器を隠し持っている素振りが無いか、目だけを動かして素早く確認していると、
警戒心の欠片もない男達は、こちらの間合いへと無頓着に侵入した。
この程度の相手ならば、を守りながらでも問題なく組み伏せられると判断し、
剛柔どちらにも動けるよう改めて自然体に構える。

「どけ、文官。用があんのは女の方だ。」

先頭でやってきた男が、頭上からチラリと楽進に流し目をくれ、傲慢に言い捨てる。

「それとも、俺達全員と戦りあっちゃう?」

おちびさん、と1番右端の馬面がニヤニヤ挑発し、
途端に何が面白いのか全員が下品な笑い声を上げた。
相手をするのも馬鹿らしいが、せっかくの逢瀬を不意にされて、
楽進とて柄にも無く気が立っている。

「ご存知とは思いますが、軍規により将兵同士の私闘は禁じられております。
故意に破れば相応の処罰を受けますが、それでも、彼女に御用がお有りでしょうか?」

一応の忠告を淡々と告げれば、文官風情に嘗められたとでも思ったのだろう、
どこまでも予想通り、全員が気色ばんだ。
ギラギラと4対の目から放たれる憤怒を、冷ややかに受け流していると、
後ろに居たが、

「はいはい、私に用があるんだよね?」

なんて、面倒臭そうにぼやきながら、楽進の隣へと並び立った。

「新兵ってそんなに暇なの?アンタらでもう6組目だよ?
勝負勝負って、負けたら絶対いちゃもん付けてくるくせにさ。
そんなに最速の称号が欲しいなら勝手に名乗りゃ良いじゃん!」

私が付けたんじゃ無いんだし、と唇を尖らせるに、
真ん中の男がふんっと鼻先でせせら笑った。

「言うねぇ!まぁ、俺が最速なのは間違いねぇが、
直々にぶっ倒してこそ称号ってな輝くんだよ!」

と、自惚れも甚だしく胸を張る。

「あの・・殿?これは一体?」

の口振りからおおよその検討はついているが、
それにしたってあまりの荒唐無稽さに説明を求めれば、

「巻き込んじゃってごめんなさい。
新兵入ると、どしてもこういう困った人達が出てきちゃうんだ。
いつもは隊長達が追っ払ってくれるんだけどさ。
馬鹿だよね、ここには隆々より早い馬なんかいないんだから、
勝負したって意味無いのに。」

そう言って彼女も苦笑いを浮かべた。

「なにベチャベチャ喋くってんだ!?勝負すんのかしねぇのか、どっちなんだよ!」

と集団の殿に居た男が、やけに苛々怒鳴ってくる。
するとは蛆虫でも見つけたような目になって、

「うわぁ、嫌な奴来ちゃった。ねぇ豚鼻さんさぁ、蹴っちゃった所大丈夫だった?
玉が片方潰れちゃったんじゃない?いざって時使い物にならなかったらごめんね?」

と、嫁入り前の娘が口にするには憚りのある謝罪をした。
仲間達もこれは初耳だったらしく、面白半分同情半分の視線が一斉に豚鼻へと集中する。
だが楽進の方はそれどころでは無く、聞き捨てならないとを凝視した。
彼女は嫌悪感も顕に顔を顰め、

「あいつ、勝負断ったら押し倒してきやがったんだ!」

と、悔しそうに我が身を抱き締める。
もちろん返り討ちにしてやったけど、
という後半の部分は最早楽進の耳には届いて居なかった。


よし、全員処断しよう。


純然たる私情でどこぞの誰かのような決意を固めて、
一番手近な男へと伸びかけた拳を、小さな手が握り留めた。
そのままぐんと後ろに引っ張られ、

「逃げよう、楽さん。」

と、耳打ちされた甘い誘いに抵抗出来るわけも無く、
無条件で申し出を受け入れる。
一瞬の目配せの後、全速力で通路の奥へと走り出せば、
仲間の失態を嘲るのに夢中だった男達は、すっかり出し抜けれて遅れを取った。
どうやら自前の足で走らせてもかなりの俊足らしいの背を、
楽進が守るように追従する。
勝手知ったる何とやら。
この厩舎の造りを熟知している偵察兵は、壁に備え付けられた梯子をするすると登り、
縦横に走った太い梁の上を右へ左へ疾走して、階下の追跡者を煙に巻く。
後ろをついていく楽進も冷や汗ものだったが、実に小気味良い逃走劇に、
だんだんと子供のような高揚感を覚える。
積み上げられた飼葉の山へひょいっと飛び降りれば、男達の姿は完全に見えなくなり、
まんまと厩舎の外へ脱出した。

「上手く撒いたようですね!」

興奮冷めやらぬ楽進が、笑顔で同意を求めたものの、
額に玉のような汗を浮かべたは、肩で大きく呼吸しながら、

「まだまだ!あいつら、ああ見えてしつこいんだから!」

と、こちらの腕を取って走り出した。
引っ張られるままついていけば、確かに後方から彼等の怒鳴り声が追い駆けてくる。
このままでは埒があかないし、
上手く逃げ切れたとして、次また一人の時を狙ってくるかもしれない。
やはり彼等には多少痛い目を見て貰って、己の行動を反省する良い機会にして貰おう。
楽進が胸中でそんな物騒な計画を立てている間に、
は厩舎裏の倉庫へと飛び込んだ。
暗く埃っぽい室内には、普段馬丁達の使う道具が雑然と並べられており、
隠れるにはうってつけだ。
は部屋の隅まで行くと、綺麗に重ねられた飼葉桶の山と熊手の束との間に、
楽進を押し込める。
次いで彼女も隠れようとしたのだが、如何せん2人で入るには場所が狭すぎた。

「あ、あれ?楽さん思ったより分厚っ!お願い、ちょっとだけ縮んで!」

なんて無茶を言いながら、
はなんとか隙間に入り込もうとぐいぐい身体を押し付けてきた。
ただでさえ温かな感触が薄い布越しに伝わってくるというのに、
彼女の太腿が股の間に割り込んできては、色々な意味で限界だ。
咄嗟に両手を頭上へと掲げ、
決して疾しい気持ちは無い事を、誰へとも知れず表明する。

「ああもう!いいや、楽さんはここに居て!」

思う存分自らの柔らかさを楽進に知らしめておきながら、
とうとうは一緒に隠れる事を諦め、身を翻した。
さっきまで胴回りに悩ましく巻き付いていた細腕が離れていこうとするのを、
寸での所で繋ぎ止める。
不意を突かれたがたたらを踏んでいる間に、素早く立ち位置を入れ替えた。
華奢な身体を懐へぎゅっと抱き込めば、
さっきまで散々楽進に同じ事をしていた少女は、石のように固まってしまう。
呼吸すら止めて動かないの様子に、
先程、新兵の一人に向けていた侮蔑の視線を思い出し、背筋がひやりとした。
いくら男所帯で過ごしているとはいえ、彼女は立派な女人だ。
まして心に決めた者が居るならなおさら、意に反する抱擁など望まないだろう。

「不快でしょうが、少しの間だけですので耐えて下さい。」

唯一楽進から見えている頭頂部に、そっと詫びを落とし、
遠くから聞こえてくる複数の足音に耳を澄ました。
男達の悪態がだんだん大きくなり、板壁を隔てたすぐそこまでやって来る。
やがて乱雑な気配が倉庫内の空気を揺さぶり、

「こそこそ隠れてんじゃねぇ!
今すぐ出て来ねぇと、てめぇもあの文官もただじゃ済まねぇぞ!」

と、男の怒鳴り声が飛び込んできた。
ぴったりくっついた薄い胸が早鐘のような鼓動を伝えてくる。
不安そうに身じろぐ彼女をやんわりと抱き締め返し、じっと相手の出方を伺えば、
どうやら手当たり次第に探りを入れて回っているようで、
チっという舌打ちと共に男の気配は遠退いた。
いたか?いや、いない、という会話を最後に、どんなに聴覚を研ぎ澄ましても、
足音すらつかめなくなる。

「・・・・行ってしまったようですね。」

見つからずに済んで良かったです、と楽進が腕の中を覗き込めば、
羞恥に潤んで震える大きな瞳とかち合った。
血の巡りが良くなったせいで艶を増した唇が、楽さん、と声も無く喘ぐ。
チラチラと見え隠れしている舌が酷く甘そうな色をしていて、
激しい劣情が背筋をビリビリと這い上がった。
迂闊な自分を悔やむ余裕すら無いほど、切ない衝動に突き動かされ、
狂おしくの背中を抱き締める。
今や早鐘を打っているのは楽進の心臓で、
多分に困惑しながらも決して逸らされない視線が、更に拍車をかけた。
いつも片絵窪が浮かぶ辺りを親指の腹でなぞり、
そのまま細い顎に引っ掛けて上向かせる。
が全く抵抗を見せないのは、
了承か、それとも単に何をされるか分かってないのか。
どちらにしろ踏み止まれるはずもなく、
楽進は本能が望むまま、彼女の可憐な唇へと自分のそれを押し付けた。

「っっやっぱり駄目!」

しかし、触れてしまう寸前での手が間に滑り込む。
拒絶される理由など一つしか思い浮かばず、楽進の胸にズキリと痛みが走った。
小さな掌に口を塞がれたまま、

「どうか・・・」

と情欲に濡れた掠れ声で懇願すれば、
至近距離で見つめ合う綺麗な瞳が、切なく逸らされる。

「こんなの、駄目だよ・・・だって・・・姫氏様に、悪い。」

ぽしょぽしょと囁かれた名前は、
けれど楽進が予想だにしなかった人物で、いささか混乱する。
どういう理由であのご令嬢が出てくるのか全く分からず、

「何故姫氏様に悪いのでしょう?」

と、恥を忍んで尋ねれば、をますます悲しそうに俯き、

「だって・・・婚約してるんでしょ?」

こういうの絶対良くない、とまるで自分に言い聞かせるように呟いた。
そういえば麾下の間で一時期そんな噂が流行った事もあったが、
最早過去の笑い話である。
なぜなら彼女は。

「姫氏様ならば、殿の遠縁に当たられる方と御結婚されましたよ?
あの騒ぎの直ぐ後です。」

そう真実を教えてやれば、はぽかんと目を点にした。
こちらの口を押し留めていた手が離れ、逆に自分の唇を覆う。

「え・・・えぇえ!?だ、だって、梔子の枝とかあげてたじゃん!
まさか楽さん・・振られちゃったの?」

そう、腫れ物に触るような痛々しさでおそるおそる尋ねられては、
苦笑するしかない。

「そもそも、それは根も葉も無い噂話です。
姫尚殿が私を介して殿へとお目通りなさった時から、
姫氏様の縁談は決まっておりましたから。」

まさかあんな下らないでっち上げが、の耳にまで届いており、
しかもそれを信じ込んでいたとは。
もう少し自分の風評に頓着するべきだろうかと、
眉間に皺を増やす楽進とは対照的に、
の方は、そぉっかぁ、と仕切りに納得しては笑みを噛み殺した。

「なんだ・・・良かった。」

ぽろりと零れた呟きに、楽進の第六感がざわりと色めき立つ。
見られているとも知らず、ふふふ、と幸福そうにはにかむ少女は、まるで・・・。

「それは・・どういう意味なのでしょうか。」

膨らんでいく都合の良い期待が声に滲んでしまわないよう、努めて冷静に訊き返せば、
バッと勢い良くこちらを見上げたの頬がみるみる薔薇色に燃え上がった。

「ち、違っ・・えと、あ、あれだよほらっ・・あの・・・。」

眉が情けなく八の字を描き、キラキラと銀河を宿した瞳が、忙しなく宙を泳ぐ。
耳まで真っ赤にして、こちらの胸元を心許なく握り締められては、
どこまでも調子に乗ってしまいそうだ。
彼女がはっきり口に出来ないというなら、自分から切り込むまで。

「不躾ながら・・・殿は、私が婚姻を結んでいなかった事が喜ばしいのですか?」

そう真っ向勝負で核心を突けば、
恥じ入るように俯いたは長い長い沈黙の後、

「・・・・だって、まだ楽さんは誰のものでも無いってことでしょう?」

と、蚊の鳴くような声で答えた。
腹の底から込み上げてくる感嘆に、楽進の唇から押さえ切れない吐息が漏れる。


やはり李典の勘は正しかった。

彼女は確かに 『恋』 をしている。


火のように熱いの頬を両手で包み込んで、吸い寄せられるように唇を塞ぐ。
合わさったそこもやはり熱く、甘く、とろけるほど柔らかかった。
触れるだけの口付けをゆっくりと交わし、再びその顔を覗きこめば、
愛しい人は途方に暮れて固まってしまう。
なんで?とぎこちなく震える唇を、もう一度軽く啄んで、

「好きです。」

と、決して聞き逃す事が無いよう、一言一句万感の想いを込めて告げた。

「初めてお会いしたあの夜から、ずっと殿をお慕い続けてきました。
どうか私に、貴女の諱を教えて下さい。」

幼子のようにまろいの額に、自分の額をくっつけて、
密着している部分全てから想いが伝わるよう祈る。
ややあって、「だよ」と恥ずかしそうな涙声が聞こえ、閉じていた瞼を開ければ、

「私の諱は、だよ。」

焦点が合って無くても分かる満面の笑顔で、彼女は片恋の終わりを告げた。
、と。
与えられたばかりの名を呼べば、

「どうしよ・・楽さん、私嬉しくって泣きそう。」

なんて可愛い殺し文句を言ってくれるのだから、堪らない。
好きです、ともう一度告げて、そのまま口付けを贈ろうとしたその時、
何者かが楽進の襟首を掴んで引き倒した。
完全に隙をつかれたとはいえ、日頃鍛えた脚力のお陰か、
無様に尻持ちをつく事無くなんとか踏み止まる。
すると今度は後ろから羽交い絞めにされ、ずるずる部屋の真ん中まで引きずられた。

「楽さんっっ!!!」

という、の切迫した悲鳴が倉庫内に木霊する。
当然と言えば当然だが、取り囲むように見下ろしたのは、
先程因縁をつけてきたあの新兵達で、
一番偉そうにしていた男が、楽進の前に立った。

「お楽しみの所邪魔して悪ぃな。ったく、手間かけさせやがって、この糞野郎がっ!」

言うなり、こちらの髪を鷲掴みし、ガツンと額に頭突きを入れた。
髪の抜ける嫌な音と共に鈍痛が脳を震わせ、
キィィンと響く耳鳴りに歯を食いしばって耐える。

「おいおい、殺しちゃまずいって。」
「分ぁってるよ!ちゃんと加減はしてやってるって。」

よく言うぜこの石頭、と楽進を押さえ込んでいる馬面が耳障りに茶化し、
他の連中もニヤニヤ賛同する。

「こんの卑怯もん共がぁ!用があんのは私だろ!!」

間髪入れず激昂して飛び出したを、あの豚鼻男が片手で難無く抱き止めた。
細い手首を力任せに掴み上げられれば、小柄な娘は簡単に吊り上げられてしまう。

「そんなに相手して欲しいってんなら今すぐイイ事してやるぜぇ?」

ニタァっと醜悪な笑みを浮かべた男が、そう言って彼女の上衣の合わせ目に手をかけたのを、
狭い視界に捉えた瞬間、楽進の身体から純粋な殺意が噴き上がった。
数千数万と放射された針のごとき殺気が、その場に居る者全てに畏怖を刻み付ける。

「いいねぇ!だったら、こいつの前で犯しちまえよ!
貧弱な文官ごときが、武官様舐めたらどうな・・。」

達の方を向いて、べらべらと不快極まる台詞を並べていた主犯格の男が、
背後の尋常ならざる空気に振り返った時には、
既に楽進を羽交い締めにしていた馬面が投げ飛ばされた後だった。
ひぃひぃと床の上で悶絶している仲間の指が、
全部在り得ない方向へ折れ曲がってるのを見て、思わず一歩後ずさる。
しかし、彼が残った仲間に指示を出すより早く、黒い残像がその懐に潜り込んだ。
強靭な脚から生み出された瞬発力はしなやかな身体を無駄なく伝わり、
体重の乗った楽進の掌打が、男の下顎を過たず捉える。
ゴキリと骨の折れる鈍い音が響き、男の巨体は頭から飼葉桶の柱に突っ込んだ。
昏倒して動かない肉塊を無視し、殿!と叫んだ楽進の目に、
腕を掴まれたまま器用に身体を持ち上げ、強姦魔の顔面を蹴り潰すの勇姿が映る。
真っ赤な飛沫を撒き散らし後ずさる敵の股間を、容赦なく蹴り上げて、
彼女は赤くなった手首をさすりながら、死んでしまえ、と捨て台詞を吐いた。
あまりにも雄雄しい勝利に、楽進がすっかり毒気を抜かれていると、
振り向いたが泣き出しそうな顔をして駆け寄ってくる。

「楽さんっ、無事なの!?怪我は?血が出てるんじゃない??」

と、しきりに心配しながら、こちらの前髪を掻き上げ、
鬱血し始めた額にそっと掌を押し当てた。
ひんやり優しい感触が嬉しくて、その手に自分の手を重ねれば、
彼女はますます辛そうに、何度も何度も謝ってくる。

「謝らなければならないのは私の方です。
このような輩に遅れを取るとは一生の不覚、後悔噬臍の思いですっ・・・。
ですが、今は落ち込むよりもまず診療所へ参りましょう!」

赤黒い手形が張り付いた痛々しい手首を見るにつけ、楽進の気は逸り、

「これくらいの痣なら、鍛錬なんかでも付くって。
ちょっと冷やせば大丈夫だよ。」

なんて渋るを、有無を言わさず連行した。
と、そこでようやく、出口に呆然と佇む最後の一人に気付く。
けれど、哀れな生き残りは2人が一歩足を踏み出しただけで、
ひぃっと情けない悲鳴を上げ、まろつ転びつ外へと逃げ出した。

「あぁあ!ちゃんとこいつらも連れて帰れよ!仲間だろ!?」

男の薄情が許せなかったのか、少々ずれた正義感を発揮して、
が怒鳴りながら後を追いかける。
気が強いところも魅力ではあるが、たまには自重してもらいたいと、
楽進も苦笑いで外へ出た。
しかし、てっきり走り去ったと思っていた男もも、
どういうわけかその場に立ち尽くしていて。
怪訝に思いつつ彼らの視線を辿ると、
厩舎へと繋がる狭い通路を、武装した兵卒の集団が占拠していた。
血と戦塵を頭から被った益荒男達が一斉にこちらへと振り向く。
いかにも凱旋したばかりという彼等の中に見知った顔を見つけ、

「あ、隊長ぉ!みんなもお帰んなさい!ちゃんと全員無事!?」

と、が喜色満面で両手を振った。
ゾロゾロとこちらへ近寄ってきた数人の内、
一際返り血を浴びた壮年の卒伯が、呆れ顔を作る。

「ありゃ?じゃねぇか。さてはお前また隆々の所に居たな?
ほいほい外を出歩くなっつっただろうが!」

面倒を起こしてねぇだろうな?と胡乱な目で尋ねる隊長に、
私が悪いんじゃないもん、と不出来な部下は頬を膨らます。

「いや、大体お前のせいだからな。」
「そうだぞ。問題児だって事、自覚しろ!」

と、他の班員達も次々お説教に参加した。
いぃっと歯を剥いて威嚇するの左手首に見慣れない痣を見つけ、

「おい。どうしたんだ、そこ?」

そう卒伯が尋ねた途端、竦み上がって石像と化していた男が脱兎のごとく身を翻す。
逃げたぞ!捕まえろ!と抜群の連携で、側にいた数人が捕獲に走る。

「もー、酷いんだよ!?まぁた新兵に絡まれちゃってさ。
あわや危機一髪って所を楽さっ・・・楽将軍に助けて頂いきました!」

そう言って、が急に話を振ったため、
彼等の会話を微笑ましく見守っていた楽進は、慌てて面容を引き締めた。
すると、通路に居た総勢数百名の斥候兵全員が、
息を合わせたかのように跪き、びしっと力強く拱手する。
戻ってきた捕獲組や、拿捕された新兵までが驚愕の形相で平伏した。

「まさか楽将軍であらせられたとは!我等が不明、誠に申し訳御座いませぬ。
皆つい先程、呂布軍哨戒部隊との交戦を終え、帰陣致しました所でございます。
不潔極まる姿ではありますが、何卒お目汚しご容赦下さい。」
「い、いえ、私もこのような恰好での出迎えで申し訳ありません。
奮戦、ご苦労様です。」

厳格な挨拶を朗々と述べる卒伯に、
楽進も力強い拱手で答え、労いの言葉を口にする。

「ところで、帰陣早々申し訳無いのですが、
そちらの倉庫内に、あと3人ほど軍律違反の新兵が倒れています。
負傷していますので、診療所にて治療を行った後、
懲罰場へ連行して頂け無いでしょうか。」

さすがに私一人で運ぶのは難しいので、と心苦しくも頼み込めば、

「過分な礼節、卑小な身には勿体無く、
将軍の仰せとあらば、どのような御命令であろうと喜んで承ります。
この馬鹿をお救い頂き、誠に有難う御座いました。」

そう言って、元来面倒見の良い男は深々と頭を下げた。
もあたふたと彼の隣に跪き、遅ればせながら拱手する。
戦の興奮冷めやらず、ぴりぴりと殺気を滲ませた猛者数百人に傅かれ、
楽進は居た堪れなさに、立ち上がって欲しい、と懇願した。
董卒伯の一声で、てきぱきと倉庫内から違反者を運び出す彼等を眺めながら、
なんだか事が大きくなってしまったと、嘆息する。
風采の上がらぬ自らの恰好を眺め、
こんな事なら李典の忠告を聞いて、ちゃんと着替えてくるべきだったと、
反省しても後の祭だ。
しかも、肝心のはすっかり仲間内に溶け込んでしまって、
戻ってくる素振りすら無かった。
同じ年頃の偵察兵達とじゃれ合う楽しげな姿を見ていると、
やはり想い焦がれているのは自分だけなのでは、という気がしてくる。
欲に負けて強引に迫ってしまった引け目が、なおさら楽進を悲観的にさせた。
今となっては、腕に感じた体温も、鼻孔を擽った甘い香りも、
唇に溶けた柔らかささえ、己の妄執が見せた白昼夢のように思える。
唯一確かな証といえば、彼女が与えてくれた諱のみ。
取り残されたような気分で、診療所へと向かう偵察部隊の後姿を見詰めれば、
視線に気付いてくれたのか、振り返ったが駆け戻ってきた。

「どしたの、楽さん?おでこが痛むの?」

ひそひそと声を潜めながら、気遣わしげに訊いて来る彼女を見下ろし、
、と躊躇いがちに諱を呼ぶ。


どうか全て幻だったなんて言わないで。


そう祈る思いで生気に満ちた瞳を見詰めれば、
顎の細い童顔が瞬時に赤く茹で上がった。

「なんで今呼ぶんだよぉ・・・。」

そう、恨めしげに呟かれ、これは勘違いでは無さそうだと、俄然嬉しくなる。
情が通じ合えば、もっと触れたいと望むのが男の性というもので、
楽進は、不服そうに尖ったの唇を、誘われるままちゅっと吸い上げた。
大きな目を零れ落ちんばかりに見開いた彼女は、
たっぷり一呼吸分置いてから、口を押さえて後ずさる。

「が、が、楽さんの色魔ぁ!」

どすんとこちらの鳩尾に拳を叩き込み、愛しい人は心外極まる罵倒を叫びながら、
仲間の元へと逃げ帰った。
一人で追いついて来たを、すぐさま兵卒仲間が小突き回す。
董卒伯に、ふさふさの尻尾を掻き回され、腕を突っ張って抵抗する彼女を見ていると、
最大の恋敵は彼等、偵察部隊の面々では無いかという気がしてくる。

(片想いを拗らせるとは、こういう事なのでしょうか・・・。)

彼女の気持ちを確認した傍から不安になる狭量な自分自身が恨めしく、
楽進は友人が零した一言を今更ながら思い出した。

しょおぐぅうん!という甲高い声が、良く晴れた空に飛んでいく。

おいでおいで、と遠くから無邪気に手招くは、
薄汚れた兵士達の中にあって奇跡のように美しく、
その天真爛漫な魂が、いつか戦の不条理に傷付き踏み躙られる日が来るかも知れないと思うと、
胸が苦しくなる。

(貴女は私が必ず守ります!)

風のように奔放な彼女が、ふと倒れ込みたくなった時、
いつでも腕を広げて抱き止められるよう、ずっと後ろを追いかけ続けるのだ。
そう、楽進は誓いも新たに、最愛の少女へと向かって力強く地を蹴った。





















end





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さて、李典さんはどこまでピンときてたのでしょーか?ww

〜16/02/27