※ caution ※
・リーマン物現代パラレル
・係長、馬岱伯瞻(28)
・著しいキャラ崩壊。つか格好良い馬岱はいない。
・繰り返す!格好良い馬岱はいない!
以上を、寛大な御心で了承頂けると助かります。
小洒落た居酒屋の一角で繰り広げられる愚痴と噂話の応酬を、なにゆえ「女子会」などと名付け、全国区で普及させたのか。
少なくともにとって、職場の先輩方が月一で開く強制参加の親睦会は、そんなフレンドリーな代物では無かった。
エチルアルコールに進んで魂を捧げた女達が、普段押さえ込んでいる不満をここぞとばかりに開放し、えげつない本音をぶち撒ける。
パワハラセクハラなんぼのもんじゃい。
下世話な質疑応答が飛び交う8人掛け座敷席の隅っこで、
はすっかり温くなったビールを啜った。
なにしろ、入社2年目の新人なんて、
割り勘要員兼、弄られキャラ兼、泥酔者の尻拭い係だ。
鉄壁を誇るアルコール耐性のおかげで、成人してからこのかた貧乏くじばかり引かされている。
(あー、久保田の大吟醸がある・・・)
苦いばかりのビールを舐めながら、
壁に貼られた手書きのお品書きを眺め、期間限定なんて煽り文句に眉を垂れ下げる。
すぐにでも店員を呼び止めたいところだが、割り勘で飲むには少々勇気のいるお値段だ。
お姐様方からの冷たい視線で串刺しになるよりは、
目の前の黄色い汁で我慢する方が賢明だろう。
水滴さえ消え去って久しいグラスを一気に煽って、
喉の奥に広がるやるせない苦味に、嗣実は思いっきり顔を顰めた。
隣では、愛され小悪魔を自称する2つ年上の先輩社員が、
「それでぇ、なんか物足りなくなっちゃってぇ、別れちゃいました。」
と、恋人との破局を楽しげに語っている。
「うっわ、最短記録じゃないの?まだ1ヶ月経って無いでしょ。」
そう言ったのは、斜め前に座る別の先輩だ。
絶賛婚活中の彼女は、今夜も会員制のお見合いパーティーとやらに顔を出してきたそうで、
つい先ほど合流したばかりである。
少々場違いな白のドレススーツは、
以前彼女が見ていた婚活雑誌の表紙を飾っていたものだ。
「だってぇ、一緒に居てもドキドキしなくなっちゃったんですもん。
私ってぇ恋しちゃってる間は、好きぃって気持ちで頭いっぱいにしてたい人なんですよ。」
「ふーん、なんか疲れそ。まあ、私も前は気持ち重視だったけど、結婚するってなると、やっぱり経済力なのよねぇ。
新婚気分なんてせいぜい3年、でも夫婦生活は一生続くわけでしょ?今よりクオリティ下がるなんて絶対イヤ。
子供も1人くらい産んでみたいし。」
30までに絶対結婚してみせると、彼女が鼻息荒く豪語すれば、既に三十路を越えた独身の先輩方が、ぎこちなく視線を逸らした。
「恋人はともかく、旦那にするなら、煩く干渉してこない男が一番よ。」
そう上座で呟いたのは、この場で唯一の既婚者であるチームリーダーだ。
数名居る女性管理職の中では群を抜いて優秀だが、私生活では離婚も秒読みだとか。
おまけにが入社する以前から、情報システム部の法正部長とはただならぬ仲だと噂になっていた。
(みんな爛れてるわ・・。)
年齢イコール彼氏居ない歴のにとって、彼女達の経験談はあまりに現実的過ぎる。
このままでは、密やかに温め続けてきた「お付き合い」への淡い憧れまで踏み躙られかねない。
断固無視を決め込んで、
次の飲み物でも注文しようとメニューを開いた矢先、
「ねぇえ?さんは好きな人とか居ないのぉ?」
と、愛され小悪魔が絶妙のタイミングで意見を求めてきた。
「わ、私は別に・・。」
と、メニュー表片手に固まったが辛うじてそれだけを絞り出せば、
「えー、でもぉ。理想のタイプくらいあるでしょう?」
なんて、なおも食い下がる。
酒精で濁った彼女の目には、猫の様な加虐心が爛々と輝いており、モテない後輩を甚振って遊ぶ気満々だった。
助けを探し、視線を泳がせるものの、先輩方は小娘共の小競り合いに興味無いらしく、
携帯電話をいじったり残り物を摘んだりと各々の作業に忙しい。
「ほらほら、早く教えてよぉ!なんなら私が特別に、イケメンをゲットする方法を教えちゃう!」
と、お得意の上目遣いで急かされて、
「せ、誠実な、人、とか?」
そう、は情けない泣き笑いを浮かべた。
『 初めての夜 』
虐殺。
そう呼んであまりある、散々な飲み会であった。
そもそも、「ネイルと彼氏は色んなタイプを楽しみたいのぉ」なんて宣う女に目をつけられた時点で、
の公開処刑は決まっていたのだ。
初っ端から、
「誠実な人とか!何それ、超ウケるぅ!」
と一笑に伏され、後は何をどう答えようとも、クスクスあらあらニヤニヤ。
その内、他の先輩方までが面白半分に口を挟み始め、
気付けば初恋から最新の失恋まで、片恋人生を洗いざらい喋らされた。
「ほんっっと、あったまくるっ!なんなんです?あの人達!寄ってたかって、人の事を恋に恋する可哀想なコ扱いして!」
そう怒り狂って、持っていた空のコップを、油で滑るカウンターに叩きつければ、
「ちょいと!割らないどくれよ!」
と、古馴染みの女将が眦をキリキリ吊り上げる。
閉店ギリギリに滑り込んだにも関わらず、呆れ笑い1つで迎え入れてくれる、
そんな気安さも手伝って、は、だってぇ、と頬を膨らませた。
学生時代から通ってるラーメン屋は、今はもう会社からも自宅からも遠くなってしまったが、
「女子会」の帰りには口直しも兼ねて必ず立ち寄っている。
「そんなに怒らねぇでやってくれよ、かあちゃん。会社勤めは何かと窮屈なんだ。な??」
そう中華鍋片手に振り返ったのは、縦も横もついでに顔も日本人離れした巨漢の店主だった。
この、オーガと山賊のハーフみたいな髭親父が、いかにしてラテン系グラマラス美人を射止めたのか。
「じゃあ、割れた分はアンタの煙草代から差っ引いとくからね。」
なんて妻の冷たい流し目に、情けなく口籠る辺り、彼が尻に敷かれているのは間違いない。
思えば、ドが付く田舎から上京し、友達もおらず、どっぷりホームシックに陥ったが、
故郷の味を求めて来店した時も、仲睦まじい夫婦漫才を披露してくれた。
「うぅぅ悔しいぃ!私ってそんっなに夢見ちゃってますか!?
別に、記念日は必ずお祝いしたいとか、結婚するまでエッチはしないとか、プロポーズは高級ホテルのスイートでとか、
そんなこと言ってませんよ!ただ、出来れば1人の相手とゆっくり長ぁく想い合えたらなぁって、そう言っただけなのに!」
愛煙家にコップを奪われ、手持ち無沙汰になったが、カウンターにベッタリ右頬をくっつけてぶう垂れる。
「誰かを好きになってさぁ、その人も私を好きになってくれるなんてさぁ。
そりゃもう奇跡みたいな事なんですよ。
どっちか片方が欠けたら成立しないんですから、大事にしたいって普通おもうでしょう!?」
誠実な人の何が悪いんだよぉぉ!と天板にぐりぐり額を擦り付けるに、
「おめぇ、酔ってんのか?」
と、若干引き気味の店主が麺を茹でながら尋ねる。
「たかが生ビール2杯で酔えませんよ!」
そう怒鳴ってガバッと顔を上げただったが、すぐにまたカウンターへ突っ伏した。
「飲みたかったのに。期間限定の純米大吟醸・・・」
心底残念そうな呟きに、呆れ顔の女将はやれやれと首を振ると、厨房の奥へ引っ込んでしまう。
聞き手に逃げられたのも構わず、はなおもブツブツ色褪せたテーブルに向かってぼやいた。
「しかもあの人、私を散々馬鹿にしといて、いざ支払いってなったら、手持ち足りないから貸してって言うんですよ!
そのくせ、電話1本でNEW彼氏とやらが迎えに来るんですからね!ならそいつに払ってもらえば良いじゃないですか!
おまけに、このコ付き合った事無いらしいからケンちゃん友達紹介してあげたらぁ?とかもうね、
明らかに嫌がらせですよ!彼氏も彼氏で、初対面の人間に向かって、じゃあ処女なんだ?
とかニヤニヤ聞いてきやがってさぁぁあ!!」
話してる内にだんだんヒートアップしていって、ねぇ聞いてます?祝融さん!?と八当たり気味に叫ぶ。
すると、あーハイハイ聞いてるよ、と面倒臭そうに戻ってきた女将は、
蓋の開いたワンカップ酒を無言でドンっと目の前に置いた。
訳が分からず、彼女の華やかなかんばせを見上げれば、
「それ飲んで、好きなだけ喚いていきな。ま、大吟醸なんて御大層なもんじゃ無いけどね。」
なんて、ニィっと八重歯を見せた。
「うわぁぁん!祝融さん大好きぃ!!」
思い掛けないサービスに大喜びのはワンカップを鷲掴みにすると、一気に全部飲み干した。
「アンタねぇ、もうちょっと大事に飲みな。」
なんて女将の呆れ声を尻目に、
ぷはーっと酒臭い息をたっぷり吐き出し、手の甲で濡れた口元を拭う。
五臓六腑に燃料が染み渡ったところで、は再び吼え猛った。
「えーえーそうですよ!もちろん処女ですよ!それの何が悪いっていうのさ!
誰とも付き合った事ないのに非処女とか、そっちのほうがよっぽど問題だろうが!
とんだビッチじゃねぇかごらぁ!」
と、他人様に聞かせられないような事まで口走ってる常連客の前へ、
居た堪れない様子の店主がそそくさと注文の品を差し出す。
魚介と野菜がたっぷり乗った故郷の麺料理を、待ってましたと頬張りながら、
「こうなったら私、30まで処女貫いて魔法使いになりますよ!イオナズンとメテオで世界征服してやる!!」
そう、スープの雫を飛ばして宣言すると、思いがけず、店の隅っこから押し殺した笑い声が聞こえてきた。
まさか、自分の他にお客が居たなんて。
コの字型に曲がったカウンターの、丁度とは向かい側。
店主の巨体に隠れた一番奥の席で、スーツ姿の男が苦しげに肩を震わせていた。
「えぇぇえ!!他にお客さん居たの!?」
全身もれなく真っ赤っ赤になったが、情けない悲鳴を上げれば、
「なんだい?気付いてなかったのかい?」
などと、女将は悪気無く追い討ちをかける。
「気付いてたら、べラベラ喋ってませんよ!こんな、こんな・・うわぁぁあ!」
そう言って頭を抱えるなど放って、女将は何を思ったか、件の客へと向き直った。
「ちょいと!どうせもう食い終わってんだろ?こっち来てアタシの酌に付き合いな!」
そう強引に呼びつける女将に、えぇえ!?とすぐさまが異議を唱えたものの、
小娘の不平など一睨みで黙らせて、
「アンタ!暖簾をしまっちまいな!」
と、鍋を洗っていた店主に言い付けた。
慌てて厨房から出て行く恐妻家と入れ違いで、大変気まずそうな顔をした男が、お冷のコップ片手に寄って来る。
室温が自分の周りだけ10度は上がった気がして、
は涙目になりながら、目の前の丼ぶりを平らげる事に集中した。
椅子1つ空けて隣に座った男は、
「もぉお、俺が人見知りなの知ってるでしょ?祝融さん。」
なんて、親しげな口調で女将を詰る。
彼女の方も慣れたもので、
「湿気た面すんじゃ無いよ!営業時間はとっくに終わってんだ。叩き出されないだけ有り難いと思いな。」
そう言うと、接客業に有るまじき乱暴さで男のコップを奪い、中身を全て捨ててしまった。
そうして、カウンターの内側から料理用清酒の一升瓶を取り出すと、空っぽのそれに並々注ぎ入れる。
ついでにのワンカップにも注いで、逃げ道を防ぐと、
最後に自分用のビールジョッキを満杯にして、
「ほら!乾杯だカンパーイ!」
とご満悦で強要した。
仕方なくワンカップを掲げたが、内心羞恥で憤死しそうになりながら、チラリと男の横顔を盗み見る。
パーマなのか地毛なのか、クルンクルンの短髪と、ルネサンス期の彫像のような顔立ちを確認した瞬間、
「あ・・・。」
と呆気に取られて固まってしまった。
男の方も、最初こそ不思議そうにしてみせたが、すぐに、
「あ・・・。」
と言って視線を逸らす。
微かだが、その目に動揺を見た気がして首を捻ったものの、
(まあ、職場の人間の下半身事情なんて私だって聞かされたく無いわ。)
気まず過ぎる、とより一層落ち込んだ。
もっとも、と彼は部所が別だから、面識なんか全く無い。
異例の若さで係長に昇進した人事部の出世頭が、何ゆえ商品開発部の新人を知っていたのか。
ここはお互い初対面で通したほうが面倒が無いだろうと、が曖昧に笑ってお茶を濁せば、
「あー・・さんだよね?遠野チーフんトコの・・・。」
そう、わざわざ自分から食い付いてくる。
「なんだい?アンタら知り合いなのかい?」
先駆けてグイグイとジョッキを空にした女将がそう尋ねたため、は観念して頷いた。
「先程は大変失礼致しました。仰る通り、私は遠野の部下でと申します。
そちらは、人事部の馬岱係長でいらっしゃいますよね?」
せめて少しでも失態を取り繕おうと生真面目に挨拶すれば、
男は摘み上げたコップをユラユラ揺らし、
「今更そんな邪険にしなくても良いじゃない?
イオナズンとメテオで世界征服するんでしょ?俺も仲間に入れてよ。」
と、楽しげに茶化してくる。
「そ、そ、それは忘れて下さい!!」
と、所々声を裏返してが憤慨すれば、くつくつ喉の奥で声を立て、
「女の子はどうか知らないけど、30まで童貞貫いたって魔法使いにはなれないよー。ソースは俺。」
そうサラリと爆弾を投下した。
えっ?と反射的に聞き返せば、彼は人懐っこい笑みを浮かべ、
「うっそー、俺まだ28だし。」
と、あっさり前言を撤回する。
「そもそも、とっくに身も心も汚れちゃってるからねぇ。
やっぱり、ちゃんの手伝いは無理だわ。ま、世界征服は一人で頑張ってよ。」
うんうん、と頷くコイツは、本当に女子社員の間で人気急上昇中のあの馬岱係長なのか?
というかいきなり下の名前をちゃん付けだと??
(気さくで仕事も出来て、誰にでも優しいイケメンは何処行った。)
先程から、人の傷口に塩を塗り込んで喜んでる男を半眼で睨み、は無言で清酒を煽った。
「あれれ?もしかして、俺の株ってば絶賛大暴落中?」
なんて、台詞だけは残念がってみせるものの、ふてぶてしい態度は微塵も変わらない。
「女子会」で嫌というほど嬲られたのに、まさかここでも辱めに合うなんて。
(今日は厄日だわ、絶対!)
半分は自業自得といえど、さすがに情けなくなって、
さっさと会計するべく半泣きでバッグの中身を弄くった。
それに気付いた女将が、沢庵を挟んだままの菜箸を馬岱の鼻先に突き付け、
「くぉら!そのくらいにしときな!気になるコ苛めて喜ぶような歳でも無いだろ。
言っとくけど、の方がずっと前からの常連なんだ。出てくんならアンタの方だよ!」
そう叱りつける。
「っちぇ〜。祝融さん分かってないなぁ。男はいくつになっても少年なんだって!」
ねぇ?大将?などと店主に同意を求めつつ、彼は少しバツが悪そうに頭を掻いた。
「ごめんねぇ?ちょい調子に乗り過ぎちゃった。
この店で顔見知りに会ったの初めてだったから、俺も緊張しちゃってたのよ。」
それは驚くほど説得力の無い謝罪だったが、
まつ毛バッシバシの愛くるしい目にじぃっと見つめられ、渋々椅子に座り直す。
(この卑怯者めぇ!)
中学高校大学と、せめて男友達くらい作っておくべきだった。
妙齢の男性に対して免疫が乏しいでは、面と向かっての謝罪を突っぱねられる訳が無い。
しかも、この男は自分の顔が女相手にどのような効果をもたらすか、確実に理解している。
「それにしても、ちゃんちょっと頭固いんじゃ無い?
そんなに何でもかんでも真面目に受け取ってたら、生きてくの辛いよぉ?」
なんて舌の根も乾かぬ内から言ってしまえるのが、確信犯の証拠だ。
イケメン死ね、と毒づいて、は肴で出された沢庵をゴリゴリ噛み砕いた。
黙秘権を行使する彼女の変わりに、
「あー、そこんとこはアタシも心配してんのさ!」
と、既に一人で出来上がりつつある女将が賛同する。
「一途なのも悪かないけどね、ちゃんと男を見る目も養っとくんだよ。
アンタみたいな真面目な子がクズを掴むとそりゃ悲惨なもんさ。
自分が頑張りゃ何とかなるなんて、我慢に我慢を重ねてね。特に相手が初めての男だったらなお悪い。」
そうやってボロボロになったコを何人も見てきてんだ、と鼻を啜って、
誰を思い出したのか腹立たしそうにビールジョッキを煽った。
「んー、でもちゃんは大丈夫じゃない?そこまで思い詰める前に爆発してそうだもん。」
いやぁ、さっきの啖呵は斜め上だったとケラケラ笑う馬岱に、
「なんでアンタにそんな事が分かるんだい!無責任な事ぬかしてると承知しないよっ!!」
と、女将が酔っ払いらしい過剰反応で身を乗り出す。
かぁちゃん落ち着けって、と店主が間に割って入って宥めれば、
馬岱も慣れた様子で、汚いなぁ、なんて笑いながら、撒き散らされた唾をお手拭きで拭いている。
水を飲め!飲まない!で押し問答している夫婦を微笑ましく眺めていると、
「ちゃんって長女だよね。」
と、今日1日でダビデ像→皮肉屋→腹黒とどんどん評価の下がった男が、唐突に断言してきた。
「・・・そうですけど?」
「兄弟もいるでしょ。しかも複数名。歳も割と近いのかな。そりゃ躾は厳しかっただろねぇ。」
したり顔で語る馬岱に、趣味が悪いとは顔を顰める。
人事の担当なら知っていたって不思議はないが、それをこんな場所で本人に向かって話すなんて。
「ご両親は御存命。たぶん恋愛結婚でしょ?今でも凄く仲が良い。
だから、ちゃんは恋に憧れるし、不貞行為は許せない。わぁ、そりゃ愛が重たくもなるよ。」
「あ、あのぉっ!いくら人事部だからって今はプライベートですよ!
そうじゃなくたって、社員の個人情報をこんな風に吹聴するなんて、職権乱用じゃ無いですか?」
親しくも無い男に家庭事情を知られている不快感から、が猛然と抗議すれば、
馬岱は大きく目を見開いた後、違う違うと慌てて首を振った。
「そりゃ時には社員の家族関係とか調べたりもするけど、いちいち覚えてらんないよ。
自慢じゃないけど俺、暗記ものってすんごい苦手でさぁ。」
そう、ニコニコ否定してくる男を、どこまで信じて良いのか分からず、じと目で睨み付ける。
馬岱は、あはは参ったなぁ、と頭の後ろを掻いて、
「今のはなんていうか、プロファイリングの真似っこってやつ。
大学時代に傾倒してた時期があってさー。
下手な詐欺師でも使ってるような簡単なものだけどねぇ?」
と、種明かしを始めた。
「例えば、ちゃんは真面目だけどちょい押し付けがましいし、上からものを言う時がある。
これは、長子の特徴なのよ。あと、謝ると許してくれる所なんかもそう。
反論が下手なのは、良く見られたいという表れで、多分兄弟が多いせい。
御両親からは頼りにされてたんだろうけど、その分良い子で居なくちゃって強迫観念が残ってる。
ただまあ、それで性格が歪んじゃったって感じは無いから、家族仲は良いんだろうね。
他にも色々予想出来るけど、さしあたってはこんなもんかなぁ。」
どう?当たってる?と得意満面な馬岱に、図星といえど素直に頷くのは癪で、
「ええ、まったくその通りです!もう会社やめて占い師にでもなったらどうですか?」
係長!っとわざと敬称を強調して、が憎まれ口を叩く。
すると敵は嫌がるどころか、いいねぇ、だなんて手放しに賛同し、
「今の仕事よりは向いてるかも。」
と、残り少なくなった酒を啜った。
「俺さぁ、諸葛亮部長にこの特技を買われて、人事部へ引き抜かれたのよ。
おまけにまさかの係長でしょ?正直舞い上がっちゃってさぁ。
で、最初に携わった仕事がちゃんたち新入社員の配属決めだったんだけど。」
急に自分の名前が出てきてドキリと緊張するに、馬岱は情けない笑みを向けた。
「知ってるぅ?実はちゃんたちの同期って、ここ数年で一番退職者が多いの。
辞めるまではいかなくても、配属先に馴染めてなかったりしてさぁ。」
そう言われれば、最近見かけない顔があるなと思い当たる。
この一年ちょっとの間、は自身が環境に慣れる事に必死で、
他の同期について気にする余裕も無かった。
「以前、俺の所に配置換えを訴えてきた新人さんがいたんだ。
もちろん特例は認められないから却下したんだけど、どんどん休みがちになってってね。
で、ある日自宅から救急車で病院に運ばれたって連絡が来ちゃった。
一応今も機密扱いだから、詳しくは話せないけど、大体察しはつくでしょ?」
そう意味深に誤魔化され、の眉根に皺が寄る。
「明日ね、退院するんだって。だから、部長のお供でお見舞いに行って来たの。
命に別状は無いし、後遺症も残らないって話だったけど、会社は自主退職するってさ。」
そのふわふわした口調とは裏腹に、馬岱はくっきり二重の瞼を重々しく伏せた。
「別に俺のせいだなんて見当外れな事思っちゃいないよ。決定権を持ってるのは上の人達だからね。
ただ、自分の仕事が誰かの人生を左右するんだって事、ちゃんと理解してたかなぁってさ。」
さすがにへこんじゃったよー、と力無く笑う男から視線を逸らし、
はかける言葉を探して困惑した。
人の事を散々重たいとかぬかしといて、そっちのほうがよっぽど重症じゃないか。
さっきまで処女がどうのと下らない事で暴れてた我が身が、とんだ道化に思えてくる。
今更どう慰めろっていうのよ、と胸中で悪態をついていると、
店の雰囲気をどんより落ち込ませた張本人は、これまた勝手に立ち直った。
「だからさぁ!ちゃんが頑張ってくれてるの見ると、元気出ちゃうのよ、俺!」
綺麗に並んだ歯を見せてキラっと笑う、心は少年の男を眺め、
なるほど酔っ払っているんだなと、腹立たしいほどの変わり身にも無理矢理納得する。
「遠野チーフの下に新人さん入ったって聞いて、ずっと心配してたんだよ。
ほら、あそこのメンバーは向上心有りすぎっていうか、誰だろうと容赦無いからさぁ。
馴染めない人はほんっと駄目なんだわ。」
まるで自身も経験したかのような口振りで遠くを見やる馬岱へ、もしみじみ相槌を打つ。
個性際立つ魔女達の高笑いが、どこからともなく聞こえてくる気がした。
「けど、君が入ってから、前ほど皆ギスギスしなくなったって遠野チーフ言ってたよ。
企画取るためにお互いの足を引っ張り合う事も無くなったって。」
「それって、私があまりにも仕事出来ないもんだから、
一致団結してしごいてやろうとかそういう話なんじゃないんですか?」
「暗っ!ちょい、暗いよぉ、もっと自信持ちなって!
なんとなくだけど、皆がちゃんを可愛がる理由分かっちゃうなぁ。
青臭くて不器用で、馬鹿みたいに真っ直ぐなんだもん。」
俺はちゃんの「堅さ」って凄く素敵だと思う。
そう、眩しそうに目を細めた馬岱が、幼子にするような手付きで頭を撫でてくる。
肉厚の大きな掌から温かな体温が伝わってきて、
は再び全身真っ赤っ赤になると忙しなく視線をさ迷わせた。
言葉の節々に少々引っかかりは感じたが、
先達が自分の頑張りを認めてくれているというのは、やっぱり嬉しい。
「あ、ありがとうございます・・・。」
感謝より照れ臭さの方が勝って、ボソボソぶっきらぼうに礼を言うとは対照的に、
馬岱は歳上の余裕を遺憾なく発揮し、
「俺の方こそ、いつも元気を分けてくれてありがとねっ!」
と、爽やかに言ってのけた。
芝居がかった気障な台詞が全く嫌味に聞こえないのは、
彼の、洋画にでも出て来そうな風貌と飄々としたキャラクターゆえか。
イケメン死ね、とがデジャブ感溢れる憎まれ口を頭の中で繰り返していると、
「ふーん、アンタいつもそうやって女を口説いてるわけだね、色男。」
と、寄りかかるように一升瓶を掴んだ女将が、完全に据わり切った流し目を馬岱へと寄越した。
「可愛い顔して随分手馴れてるじゃないのさ。一体何人の女を誑かしてきたんだろうねぇ?」
「うっわ、もうベロンベロンじゃないの祝融さん!
絡むのやめてよ。こう見えても俺って結構身持ち固いのよ?
釣った魚一筋、ガンガン餌あげてクジラくらい大きくしちゃうんだから。」
お買い得だよぉ、なんて冗談なんだか本気なんだか分からない満面の笑みを向けられても、
はただ、はぁ、と気の抜けた返事しか返せない。
「ちゃん酷い、信じて無いでしょ!
そこは嘘でも、やーん本当ですかぁ?って可愛く困って見せるとこ。
そんなんだから彼氏出来無いんだよ?」
「な!?なんでそんな思ってもいない事言わなきゃいけないんですか!」
「思ってないんだ・・傷つくわぁ。」
案外がっしりした肩を大げさに落として黄昏る馬岱に、
たった1時間ほどで完全に遠慮の無くなったが、なおも追撃する。
「大体、お買い得って言うからには、馬岱係長も恋人居ないって事ですよね。
偉そうにしてても私と同じじゃないですか!」
「同じじゃないですぅ、今は居ない、と、まだ居ない、は全然別物ですぅ。」
鬼の首を取ったかのようなと、子供みたいに唇を尖らせる馬岱とで、
低次元な口喧嘩を繰り広げていると、
「なんだいなんだい!アタシの店でイチャつこうなんて良い度胸してんじゃないのさ!!
アンタみたいな面倒な男にはやらないよっっ!!」
突然ヒグマのように立ち上がった女将が、そう言って一升瓶を振り上げた。
少しだけ底に残っていた清酒が、逆さになった口からつーっと紐になって零れていく。
「おおっと。こうなったら逃げるが勝ちだよ。ほらちゃんも!さっさと撤収撤収。」
店主に羽交い絞めにされたままブンブン瓶を振り回す大虎を、が愕然と眺めている間に、
感心するような手際の良さでもって、馬岱が食い散らかしたカウンターの上を片付ける。
慌てて自分も荷物を掻き集めていると、彼がその腕を掴んでグイグイ店の外に連れ出した。
「今夜の分は次来た時に払うからぁ!そいじゃ、おやすみ〜!」
と、少しだけ開けた引き戸の隙間に向かって叫べば、
カコーンガシャーンという何かが爆ぜる音に混じって、
「おう!気ぃつけて帰れや!」
という店主の野太い声が聞こえてきた。
今更中へは戻れないだろうが、一応忘れ物が無いか確認していると、
「お酒さえっお酒さえ飲まなきゃ良い人なのよっ!」
と、酒乱の夫を庇う妻のように馬岱がわざとらしく目頭を押さえる。
「びっくりしました。祝融さんって酔うとあんななっちゃうんですね。」
「え?なになに?ちゃん知らなかったの?」
やった、勝った!と両手で拳を掲げる28歳に、
「私のほうが常連暦長いって言われたの、気にしてたんですね。」
と温い視線を送った。
「結構長く通ってますけど、私の前で祝融さんがお酒飲んだのってこれが初めてですもん。」
「あはー、一応あの人も自重してたんだぁ。」
なんて、苦笑いする馬岱もまた、なかなかに酔いどれのようで、ふわんふわんと体が揺れている。
「大丈夫ですか係長?帰れます?」
と聞けば、うんうんと幼い仕草で頷くもんだから余計心配になった。
駅へ行くと告げれば、自分も同じ方向だからと、妙に上機嫌な男が隣をついてくる。
「それにしても、ちゃん強いねぇ。全然変わらないじゃない。」
「ええまぁ。ウチは酒豪の家系で。おかげで送り役がすっかり板に付いちゃって。
そういう係長は、顔の割に弱いんですね。」
コツコツとパンプスの踵を規則正しく鳴らしながら、がニヤニヤ茶化す。
見慣れたアーケード街も、人影の絶えた深夜では、まるで知らない道のようだ。
「それってぇ全然顔関係無いよね!普通だよ、ふ・つ・う!平均的な日本男児です!」
と意味も無く誇らしげに胸を張る男は、酒の力も手伝って実に無邪気だった。
(こうもテンション高いと、逆に空元気にしか見えないんだよね・・・)
酔っ払いの尻拭いばかり押し付けられてきたから分かる事だが、
落ち込んで飲んだ時は荒れるのが必定だ。
黙々と飲むか、泣き喚いて飲むか、笑い飛ばして飲むか。
いずれにしろ、不満を全て吐き出し切らねば、苦しくなるばかりだ。
けれど、がたじろぐ程の重たい理由で、へこんでると言った彼は、
飲み始めてから一貫して、笑顔を絶やさなかった。
祝融が声をかけるまでは、居る事すら気付かないほど静かだったというのに。
鼻梁の高い横顔に張り付いた綺麗な笑みが、急に痛々しく見えた。
「あの・・・駅すぐそこですし、ちょっと寄りたい所あるんで、ここで別れませんか?」
電信柱を二本通り越すまでたっぷり逡巡して、は用意した台詞をなんとか会話の隙間に滑りこませた。
「えー俺も一緒行くよ。コンビニ?トイレ?ここまできたらもう、何処にでもついてっちゃう!」
あ、さすがに女子トイレは無理か、と陽気に突っ込む馬岱を見て、
やっぱり余計なお世話だったんじゃないかと、及び腰になる。
でも・・・。
「いえ。ホントに、一人で大丈夫ですから。
馬岱係長も、一人の方が何かと、その、良いんじゃないかなぁ・・って。」
我ながらなんて気の聞かない台詞なのだと嘆きつつ、必死に別々の帰路を薦める。
だってきっと。
この人は一人になるまで笑顔をやめない。
「えー、どうしてそういう寂しい事言えちゃうの。お兄さん、泣いちゃうよ?大の男を泣かしちゃって良いの?」
「や、えと、その、ほら。つ、疲れませんか・・・・・私と、居たら。」
なんとかオブラートに包もうと試みた結果、
もうこれ以上は思い付かないと、はそう言ったきり押し黙った。
「まっさかぁ、楽しいばっかりだよぉ?」
そう言ってまた笑う馬岱をひたと見詰め、ちゃんと言葉の意味が伝わるよう祈る。
だって彼のお陰で、独り暮らしの寂しい部屋に、憂鬱を持ち帰らなくて済んだのだから。
急に立ち止まったを、気付くのが遅れた馬岱が数歩先から振り返る。
いささか不審がる気配が、だんだんと変化して、彼が短く息を詰めたのが分かった。
「そ、それじゃ、私はこれで。」
もうこの際こちらの真意が伝わろうが伝わるまいが逃げれば済む話じゃないかと、
そう思い到ったが別方向へ歩き出す。
けれど、夜闇に表情の没した馬岱は、相変わらず戯けた口調で、
「ちゃんさぁ。駅行くのは良いけど、とっくに終電行っちゃってるよ?」
と、非常に由々しき事実を伝えてきた。
思わず、えっ!?と立ち止まり携帯を取り出して確認すれば、
一時間以上前から明日は今日へと変わっていて。
「うそぉぉ・・・。」
と、がっくり項垂れるの隣へ、ゆったり近寄ってきた馬岱が、残念だったね、と告げた。
「もういいです。駅前でタクシー拾います。それじゃ、馬岱係長も気を付けて。」
おやすみなさい、と挨拶もそこそこに立ち去ろうとするを、
ねぇ、とまたしても彼が呼び止める。
「俺の家ってすぐそこなのよ。」
「はぁ・・。」
「で、お互い明日はお休みー。」
「ええまあ。」
「終電はもう無いし、この辺じゃタクシーもなっかなか捕まらないんだよね。」
じゃあタクシー会社の電話番号調べないと、と携帯を持ち出すの顔色を伺い、
やっぱ伝わらないっかぁ、と苦笑いして、
「これってお誂え向きだって思わない?」
などと、馬岱はもったいぶった質問をしてきた。
だんだん雲行きが怪しくなってきた言動に、そこはかとなく身構えるへ、
「泊まっていきなよ。」
と、ドラマの中にしか存在しないような誘い文句を、態度も口調も全く変わらぬ自然さで言ってのける。
「ちゃん可愛いから、俺多分手ぇ出しちゃうと思うけど。
少なくとも、明日から先輩に処女って馬鹿にはされなくなるよ。」
そう、普通思ってても言わない本音まで言ってニコっと絵窪を浮かべる。
冗談にして笑い飛ばすべきか。
いっそ潔いと感心するべきか。
一気に赤くなったの顔が、ゆっくり般若の形相へと変化していき、
「最っ低・・・・・」
と、心底軽蔑しきった低い声が口から零れた。
「えー!?充分紳士的だよぉ!正直に全部ぶっちゃけてるじゃない。何もしない、とか言っといて、
家に連れ込んだ途端豹変するよりは、よっぽど誠実でしょ!」
誠実な人好きなんだよね?などと、よくもまあ言えたものだ。
「行きずりの女を連れこもうとしてる時点でアウトです!」
「行きずりじゃないよ!職場で毎日見かけてる女のコだからね!充分知ってるってば!」
「私は今日が初対面同然です!大体ね!今まで何聞いてたんです?私は真面目な恋愛がしたいんです。
好きになって、告白して、付き合って・・・え、え、エッチだって、ちゃんと恋人同士でするもんなんです!」
途中、変にどもったせいで余計恥ずかしくなりながら、必死に訴えたというのに、
目の前の腹黒改めやりチンは、
「えっち・・・」
などと、わざわざの言葉をそこだけ復唱する。
腹の底まで煮えくり返って、もう顔も見たくないと、足取り荒く歩き出せば、
馬岱は当然のように追いかけてきた。
つかず離れず後ろから、
「じゃ、じゃあ、付き合っちゃおう!そうすれば何の問題もなくなるじゃない!」
などと、火に油を注いでくる。
「じゃあ?じゃあ!?何それ、馬鹿にしてんですか?」
「えぇ!?なんでそうなるの?馬鹿になんかするわけないでしょ!」
「あっそ、じゃあ馬鹿なんですね。」
さっきまで日本人だと思っていた人物は、実は宇宙人だったのか。
根本的な部分が噛み合わないまま、
二人の奇妙な追いかけっこは、アーケード街を抜け、線路沿いの細い脇道へと入った。
「ねぇ、考えてもみてよ!この先、俺以外に君と付き合いたいっていう男が現れなかったら、
ずっと独り身でいる事になっちゃうんだよ???」
「そりゃ結構。立派な魔法使いになれますね!
ちなみに、イオナズン覚えたら、一番最初に馬岱係長で試し撃ちしますんで、覚悟しておいて下さい。」
あー楽しみ、と笑えば、鬼ぃ!と後ろから恨み節が聞こえてくる。
全く、嘆きたいのはこちらの方だ。
(素敵だって言ったくせに・・)
嘘つき、と未だ諦める様子の無い追跡者を詰った。
融通の効かない自分自身が大嫌いだ。
世の中には、人の数だけ価値観が存在する。
それに正しいも間違いも無いし、
いちいち自分の尺度に当て嵌めて、差違に憤慨していては疲れるばかりだ。
頭ではそう理解していても、の中の子供っぽい正義感が許せないと反発した。
それも有りだよね、と大人を気取って同意する事が、どうしても出来ない。
社会人としてより遥かに成熟した先輩達を見るにつけ、
己の青臭さが鼻につき、どんどん卑屈になった。
だから今夜、馬岱にありがとうと言われて、底無しの泥沼から掬い上げられた気がした。
自分だって辛いはずなのに笑顔を絶やさない強さや、
さり気なく駅まで送ってくれる真心に、羨望さえ覚えた。
(慰められて、勝手に感激して、馬鹿みたい・・・私。)
好きに、なりかけていたのに。
なるほど確かに男を見る目は無いな、と祝融の苦言を思い出して自嘲する。
「ね、ねぇ!ちょっとだけ止まってよ!そしたらちゃんと話すから。」
背後からは先程より少しだけ真剣味が増した声が、相変わらず追いかけてきていて。
「嫌です。話す事なんかありません。そういうお相手をお探しなら他をどうぞ。」
振り向きもせず返答すれば、
「それこそ嫌だよ!俺はちゃんが良いんだから!」
と、至極勝手な事を喚かれて、悔しさに涙が出そうだ。
押さえ続けた怒りが我慢出来る限界を越え、
はとうとう歩みを止めると勢い良く振り返った。
「いい加減にしてよっ!私をからかってそんなに楽しい?
処女で、単純で、夢見がちだから、ちょっと優しくしてやればすぐ誘いに乗るだろうって?
冗談じゃないわ!馬鹿にするのも大概にしろっ!!」
自分で言って余計みじめになりながら、数メートル手前で呆然と立ち尽くす男を睨みつける。
相手は職場の上司であるとか、月曜の朝にはまた顔を合わせるのだとか、
そんな事はもうどうでも良かった。
街灯すら無い夜闇の中で、上背のあるシルエットが困った様に頭をかく。
「俺は、からかったりしてないよ。好きになったんだ、ちゃんが。」
長い長い沈黙の後、静まり返った夜道に響いたのは、別人のように真剣な馬岱の声だった。
「は、何それ・・何言って・・」
まったく予想だにしない答えが返ってきて、些か狼狽える。
ぱんぱんに膨れ上がった怒りが、信じるなと警告する。
自分勝手な事ばかり言う男は、こちらの動揺などお構いなしに、大股で間合いを詰めてきた。
逃げ出そうとしてたたらを踏んだの手を、馬岱の大きな手が掴んで引き留める。
肉厚で温かくて、の頭を優しく撫でてくれたそれが、
今は嘘のように冷たくじっとり汗ばんでいた。
それを気にしたのか、馬岱はごめんと謝ると、慌ててスーツのズボンに掌を擦り付ける。
「嘘じゃないよ、本当に君が好き。」
距離が近くなったせいで、
少し掠れた艶のある声は破壊力を増し、の耳が勝手に熱を孕む。
「ちょっと話しただけの女に、好きだなんて言えちゃう人の、一体何を信じろっていうのよ!
少しは自分の言動を考えたら!?」
絆されるもんか、としっかり足を踏ん張って、が反論すれば、
「そりゃその通りなんだけどさ・・。」
と、急に弱腰になる。
言ってる事が無茶苦茶だと、一応自覚はあるらしい。
「でもさ、時間かけたからって必ず上手くいくわけじゃないし、一目惚れだからって紛い物とは限らないでしょ?
俺は、ちゃんが好き。このまま帰したく無いし、抱きしめて、キスして、セックスしたい。」
「も、ほ、ホント最っ低!酔ってるのね?酔ってるから平気でそんな事言えるのよ!」
ど直球な馬岱の要求にブワッと汗が噴き出して、何故私ばかりがこんなに焦っているのかと、は臍を噛んだ。
「酔いなんかとっくに冷めちゃってるよ。それに全然平気じゃない。
俺、嘘は得意だけど、正直に打ち明けるのって苦手なんだからさ。」
頼むよ、と懇願しながら、言ってる内容は到底の信頼を勝ち取ろうというものではなく、
(この人、結局何がしたいのかしら・・・)
と、盛大に溜め息を吐く。
どうせ、簡単に落ちると踏んでた女から断られて、意地になってるんだろう。下らないプライドだ。
暫く睨み合いが続いた後、先に焦れた馬岱が、
「ね、どうしたら信じてもらえるのかな?教えてよ、言われた通りにするからさ。」
などと提案してくる。
じゃあ帰らさて、と即答すれば、それは駄目、とやっぱり却下された。
不毛な押し問答にうんざりして、
「あのねぇ・・・なら聞くけど、好きだって言うなら理由は?あなた、私の事何にも知らないじゃない。」
と、は質問しながら腹を決めた。
彼の返答がどんなものであれ、すぐにタクシーを呼んで家に帰る。
追いかけっこはお終いだ、とはこっそり鞄の中の携帯を掴んだが、
あれほど必死に言い訳していた男は、ここにきて沈黙してしまった。
(・・・やっぱり。好きだなんて嘘じゃないの。)
きっと今、それらしい理由を必死になって考えているのだ。
勝手に胸へと広がっていく失望感に忌々しく顔を顰めていると、背後から車のエンジン音が近づいてきた。
ハイビームにされたヘッドライトが、二人の周囲を少しずつ明るくしていく。
刎ねられては困ると、が道の端へ退くのを見計らったかのように、
「だってちゃん、もう笑わなくて良いって言ってくれたでしょ。」
と、聞き逃しそうなほど小さく馬岱が呟いた。
弾かれるように視線を戻せば、丁度通り過ぎようとする車のライトに、彼の顔が照らし出される。
本当に一瞬の出来事で、瞬き1つしている間に闇へと掻き消えてしまったけれど。
そこに見えたのは、唇を真一文字に結び、眉間に皺を深く刻んだ、真っ赤な顔の馬岱だった。
縋るようにこちらを見詰めた大きな瞳が網膜の底に焼き付いて消えない。
「あれは俺の勘違い?」
酷く心許ない声で、夜に溶けた馬岱が尋ねる。
(本当に卑怯だわ、この人!)
狡くて、あざとくて、おまけに変態だ。
鞄の中で今か今かと出番を待っていた携帯を、財布とハンカチの隙間に滑り落とし、
変わりに体の横で握りしめられている馬岱の手を取った。
彼の呼吸が不自然に詰まるのを聞きながら、
無理やり拳を開いて、露わになった掌に自分のそれをぺったりくっつける。
「手汗すご・・」
ひんやり冷たい指先に体温を移しながら、がクスリと笑えば、
「そりゃ、物凄く緊張してるもの。」
と、馬岱が正直に答える。
到底信じられない言動だったが、彼は最初から本当の事だけを告げていたらしい。
「・・勘違いじゃ無いですよ。」
もう片方の手にも、同じように掌を滑りこませながら、先程の問いに答えれば、
ややあって、
「やっぱり俺、ちゃんが好き。」
と嬉しそうな声がした。
「馬岱係長って見た目はチャラ男っぽいのに、ナンパとかした事無いんですね。」
しっかりと指を絡め合い、ゆらゆら揺らしながら、が上目遣いで伺えば、
えー、なによそれ!とすぐさま不満を訴える。
「だって、あんな口説き文句に釣られる女のコ、一人も居ないと思います。」
私以外は、と付け足すと、
「ちゃんさえ釣れればそれで良い。」
なんて言いながら、握り合った手を強く引っ張って、まんまと腕の中に閉じ込めた。
抱き締められ、肺から甘ったるい吐息が押し出される。
「じゃあ、泊まってってくれる?」
と、耳元で囁かれて、そこに含まれる行為を思い出し、体温が急上昇した。
「なら、私の恋人になってくれますか?」
照れ隠しに、質問を質問で返せば、答えの変わりに、
チュッと無防備だった唇を啄まれた。
「ちょっとぉ!!い、今の!私のファーストキス!!」
そりゃ少女漫画のようなファンタジーを期待する歳でも無いが、
あんな前置きも無くあっさり奪われるなんて、夢も希望も浪漫もあったもんじゃない。
「え、そうなの?わぁ、ちゃんの初チュー貰っちゃったぁ。」
なんて、至近距離にある端整な顔がにまにまとだらしなく崩れる。
それが心底嬉しそうなもんだから、酷すぎる!あんまりだ!と口では抗議しながらも、
は羞恥に赤らむ頬を、スーツの胸に摺り寄せた。
「そっかぁ、じゃあ仕切りなおしって事で。」
と、頭の上から楽しげな声が降ってきて、
元の温かさを取り戻した馬岱の手が、両頬をやんわりと包み込む。
耳の後ろに差し込まれた指が、髪の生え際をなぞり、項がゾクゾクと総毛立った。
擽ったさに首を竦めれば、自然と顎が上がって、
昏い熱情を湛えた榛色の瞳が、愛おしそうに覗きこんで来る。
「ごめんね、強引で。でも、今夜このままちゃんを帰らせちゃったら、
明日からはまた職場の顔見知りに戻っちゃうじゃない。
必死だったんだよ。俺ってみっともないよねぇ。」
頬に、額に、柔らかく口付けを落としながら、
絵窪と一緒に浮かべた苦笑いさえ様になっていて、
今更ながら、こんなに格好良かったのかと、惚けてしまった。
「いっぱい怒らせちゃったから、これは相当嫌われたなって覚悟してた。
それでも、ただの顔見知りよりはずっと良いけど。」
そう囁いて、しっとり潤んだ唇が、のそれへと掬うように合わさった。
甘い痺れが脳を溶かし、力の抜けた指で、分厚い背中に縋り付く。
ふんわり上唇が触れたまま、少しだけ隙間を開けて、
大好きだよ、と馬岱がの中に恋情を注ぎ込んだ。
戦慄く舌をなんとか動かして、燃える吐息を好きという形に変えれば、
もう一度、彼の唇が噛み付いた。
ぬるりと熱い舌が差し込まれ、こちらの舌先に触れた途端、
感じた事の無い感覚が電流のごとく体内を駆け抜ける。
くん、と子犬が鼻を鳴らすような声が漏れて、馬岱が堪らないとばかりに、
の項を掻き乱した。
より深く、ぴったりくっついた口の中で、くちゅくちゅと唾液を混ぜる音がする。
柔らかいのにザラついた粘膜が、無防備な咥内を思う様蹂躙し、
理性とか良識とか、そういったものを根こそぎ掻っ攫っていってしまった。
名残惜しそうに、ちゅっちゅっと下唇を何度も吸い上げ、
ようやく顔を上げた馬岱が、未だ嵐の余韻にぽやっと惚けてるを見下ろして、
「あ〜・・・これは、ちょい。我慢きかないかも・・・。」
なんて、情けなく眉を垂れ下げた。
我慢?何を?と酸欠で上手く働かない頭がクエスチョンマークを飛ばすが、
彼はお構い無しに右手を掴んで、どんどん歩き始める。
「へっ?あ、な、どこへ行くんですか?」
目を白黒させながら、それでもが手を握り返せば、
笑みを深くした馬岱が、俺ん家、と歌うように答えた。
「あ、でもその前にコンビニ寄っていい?」
そう提案されて、
じゃあ自分も化粧品とか下着とかお泊りセットを買おうかな、と暢気に考えていたは、
「コンドーム買わないと。」
と、付けた足された台詞に、ボッと顔から火を噴く。
「だ、だから何でそういう事を平気で言っちゃうんですか!」
「え?大事でしょ?ちゃんそういうの気にしそうだし。」
猛然と抗議しても暖簾に腕押し糠に釘、ケロッと返されて、
そりゃそうだけど、ともぐもぐ口篭る。
「というか・・・本当に、その、するんですか?別に今夜じゃ無くても・・・。」
会ったその日からお付き合い、というだけで、常軌を逸しているのに、
そのまま最後までGO!だなんて、の常識では考えられない事態だ。
今日の下着ってちゃんと上下揃ってたっけ?だとか、
最近無駄毛の処理サボってた気がする、だとか、
急に現実が押し寄せてきて、赤くなった顔が急速に青くなる。
口に拳を当て、ブツブツ悩み始めたをチラっと見やり、
「そんなに深刻にならなくても、大丈夫だって。ただちゃんと離れたく無いってだけだし、
初めてのコに無理強いなんかしないよぉ・・・・・・・・・・たぶん。」
と、馬岱が当てにならないフォローを入れてきた。
最初の目的地だった駅がだんだんと近付いてきて、
人気の無いロータリーをまばらな街灯が申し訳程度に照らしている。
駅の向かい側では、コンビニが場違いなほど明るい存在感を示していた。
「うー・・・・んとね、今ならまだ帰してあげられる、ような気がするけど?」
きゅっと繋いだ手に力を込めといて、最後の最後で逃げるチャンスをくれる馬岱が愛おしい。
同じく力一杯その手を握り潰して、
「コンビニ、行くんでしょ?」
そう、痛そうな顰めっ面に言い放ち、さっさと道の向こう側へ渡ってしまった。
「ったぁ・・・・ちゃんの馬鹿力ぁ!」
飛んできた非難も耳に心地良く、ようやく一本取り返したと声を上げて笑う。
あざとい送り狼に追いつかれて報復を受ける前に、
は開きかけの自動ドアへと逃げ込んだ。
その夜、は色々な「人生初」を経験する事になるのだが、
さし当たっては、平然とコンドームをレジに差し出す馬岱の後ろで、
チラチラ送られてくる店員の視線に耐える事だった。
END
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エッチなのはいけないと思います☆(お前が言うな
90年代初めのトレンディードラマを目指したはずなんだが・・・下ネタが酷すぎるww