※ caution ※

・白バイ隊員、張遼 文遠 
・ヒロインのハーレム風味
・警察ネタという名のファンタジー。
・いつにも増して捏造満載。体は嘘で出来ている!

以上を、寛大な御心で了承頂けると助かります。

















聖し、この夜。

星は、光り。












『   with you   』












Silent night, Holy night,

All is calm, All is bright,





照明が落とされた食堂の奥。
人気の無い調理場で、聖夜を寿ぐ歌が密やかに紡がれる。
これでかれこれ6回目のリピートとなるメロディーを飽きもせず口ずさんで、
はステンレス製の調理台を丁寧に拭き清めた。
なにしろ今夜はクリスマスイブである。
家庭持ちの同僚達が我先にと帰宅する中、
悲しいかな、独り者の自分に優先すべき予定は無く、
いつも通り居残り清掃に勤しんだ。
警察署内で営業している特殊な飲食店に勤めだして、早9ヶ月。
どうやら警察というのは、世間が浮かれている時ほど忙しい生業らしく、
今夜も夜勤や応援の警官で職員食堂は大いに賑わった。
日替わりディナーのカップケーキ付きローストチキンは瞬く間に完売したし、
レジ横の籠に山と積んでおいたフリー配布のクラッカーも、
あっちこっちのテーブルでパーティー気分を盛り上げてくれた。
百円均一で買ってきた小型のクリスマスツリーに至っては、
サンタクロースへの願い事を書いてもらった赤いリボンで、
梢という梢が埋め尽くされていた。
かろうじて天辺にベツレヘムの星を頂いた、真っ赤な煩悩の木を思い出し、
の頬が誤魔化しようもなく緩む。

(少しはお客様にクリスマスを楽しんで頂けたかしら・・・。)

企画を提案した当初は、難色を示す同僚が大半だったが、
調理担当全員でアイディアを出し合い、創意工夫を繰り返して、
なんとか今日の開催にこぎつけた。
トレイの返却口で来店客からかけられた色とりどりの感謝こそ、
何より嬉しい成功の証だ。
心地良い達成感に身を委ねながら、けれど小さな心残りが溜め息となって、
の唇から零れ落ちた。

(・・・・・結局間に合わなかったな、張遼さん。)

そう胸中で呟いて、実は彼に一番来て欲しかったのだと、本心を自覚する。
御客の大多数がコーヒー派である中、毎回紅茶を頼む巡査部長は、
こっそり茶葉をグレードアップした事に、唯一気付いた人物だ。
以来、食事時はおろか勤務中のささやかな休憩時間にまで、
が手ずから煎れる紅茶を飲みに、食堂へと足を運んでくれている。
最初こそ、その鋭い眼光に萎縮していたが、
カップを受け取る時必ず添えてくれるありがとうが、はっとするほど優しくて、
交わす言葉が増えるのに、そう時間は掛からなかった。

(きっと休憩する暇も無いんだわ。)

師走の、しかもクリスマスイブの夜ともなれば、交通課はまさに入れ食い状態だ。
白バイ隊員である彼もまた、食事にも戻れないほど、
取り締まりに追われているのだろう。
空っぽの陳列棚をキッチンアルコールで乾拭きしながら、
仕方無いわよ、とがっかりする自分を慰めた。
物思いにかまけている内にすっかり時間を無駄にしてしまったようで、
気付けばバスの乗車時刻がすぐそこまで迫っていた。
これを逃すと、寒空の下で40分も次を待たねばならない。
茶渋が酷い湯呑みを少々手荒く漂白液へと突っ込んでから、
慌てて帰り支度を始めたの耳に、

「どなたか、そこにおられるのか?」

と、おかず棚の向こうから微かな呼び掛けが聞こえてきた。
食堂ホール自体は、夜勤の職員に開放されているため、
誰が入って来ようと自由であるが、
どう見ても営業が終了している厨房に一体何の用があるのか。
の性格上、居留守を使う事も出来ず、結局は定時のバスを諦めて、
はい、と馬鹿正直に返事を返した。
カウンターとの境目に引かれた分厚いカーテンを、肩幅分だけ端に寄せる。
すると、漏れ出た光の先に、
今夜はもう会えないだろうと思い込んでいた人物が立っていた。

「・・・張遼さん?」

と、顔を見るなり沈黙した男の名を、疑問符付きで呼ぶ。

「あ、いや・・通りすがりに覗いたところ、奥に明かりが灯っておりましたゆえ、
もしやと思い声をかけた次第で。」

どことなく歯切れの悪い釈明に、侵入者にでも間違われたのだろうと見当付けて、

「こんな時間ですもの、不審に思うのが普通ですよ。
私こそ、お手間を取らせてしまってすいません。」

張遼さんは職務熱心ですね、とにっこり笑いかける。

「いえ、そうではなくてですな・・。」

などと益々ばつが悪そうに言い淀む彼は、
制服である黒革のライダースーツをきっちり着込んでおり、
未だ勤務中であることが伺い知れた。

「まだまだお忙しいみたいですね。」

お疲れ様です、とが労いを口にすれば
彼は鋭角に吊り上がった眦を柔らかく綻ばせ、
お気遣い痛み入る、と生真面目に返した。

「今夜はまた随分遅くまで清掃されておられますな。」

「ええ、何しろクリスマスイブですから。
家族や恋人を待たせている方達に残業して頂くわけにはいかないでしょう?
こういう時こそ寂しい独り身が頑張らないと!」

そう明るく茶化せば、張遼は困った様に苦笑を浮かべ、

「しかし、聞けばここも随分賑わっていたとか。
勤務上がりの輩に声をかけられる事も多かったのでは?」

そう、ひたと探るような視線を寄越してくる。

「確かにお誘いも頂きましたけど・・・場の雰囲気に合わせた社交辞令ですよ。
皆さんノリの良い方達ばかりですし。」

話半分に受け流しました、と素直に事実を伝えたのだが、
彼は猛禽類のような双眸を、剣呑に細めた。
ちなみに誰と誰ですかな?と尋ねられても、
記憶に残っているのは忙しさばかりで、覚えてませんと情けなく笑う。

「そういう張遼さんこそ、パトロール中に女性から声をかけられるのでは?
やっぱり格好良いですもんね、あの大きな白いバイク。」
「バイク・・・い、いえ、そのような事は一度も。それに勤務中に見かける連中など、
道路交通法すら守れない愚か者ばかりですからな。
特に今日は飲酒運転のカップルが大半で、さすがに辟易し申した。」

苦虫を噛み潰したような顰めっ面でそう言い捨てる張遼に、
心中お察しします、とも同情を寄せた。

「でもクリスマスデートなんて羨ましいなぁ。私も一回くらいしてみたいです。
どういうわけかこの日だけは上手くスケジュールが合わなくて。
今までずっと、イブは一人で過ごしてきました。」

まぁそもそも肝心のお相手がいないんですけどね、と自虐的な軽口を言えば、

「私でよろしければ今すぐにでもお誘い申し上げるが。」

なんて、おいおい仕事はどうするんだと突っ込まれそうな台詞を、
お得意の真顔でのたまった。
彼一流の冗談であると分かっていても、
疲れているはずの身体がふわふわ浮足立つ。

「ありがとうございます。それじゃ、手始めに紅茶でもお煎れしましょうか?
今夜はクリスマスイブですから特別無料サービスです。」

嬉しさに任せたの申し出に、
しかし彼は心底残念そうに目線を伏せると、首を横に振った。

「申し訳ありますぬ。すぐにまた、合肥町方面へパトロールに向かわねばならぬのです。
ここ数日、帰宅途中の女性を狙った暴行事件が多発しているようで、
刑事課から応援を頼まれました。
私にとっては、今夜殿のお顔を拝見出来ただけでこの上ない僥倖ゆえ、
ご好意のみ有り難く頂戴致す。」

仰々しい言葉遣いのせいで、内容の艶っぽさにはとんと気付かぬまま、
は力なく肩を落とした。
寒風吹きすさぶ夜の街をバイクで何時間も巡回するのかと思うと、
それが彼の仕事とはいえ胸が痛む。
せめて景気良く笑顔で送り出してあげたい。

「それじゃ、今度いらして下さった時にはとびきり美味しい紅茶をお煎れしますから、
楽しみにしてて下さいね。」

そう、殊更明るく振る舞ってみせたが、張遼はより一層申し訳無さそうに唇を引き結んだ。
そんな顔をさせたかった訳じゃないのに、と眉尻を情けなく下げるだったが、
そういえば、と残り物の存在を思い出す。

「あ、あの、ちょっとだけ!3分で良いので私に時間を下さい!」

そう、一方的に言いおいて、厨房内へと身を翻した。
調味料箱の上に放置されていた鞄の中をごそごそ漁り、
お目当ての品を探し出す。
中身が引っくり返らぬよう慎重にカウンターまで運べば、
張遼はお願いした通りその場でじっと待ってくれていた。
大事に抱えて来た使い捨ての汁物容器を開けると、
歪なクリームの乗ったカップケーキが1つ顔を出す。

「これ、今夜出したミニケーキの失敗作なんですけど、
残念なのは見た目だけで味は変わりませんから、良かったら食べて下さい。」

そう言って差し出せば、彼は受け取りこそしたものの、困惑気味にを見た。

「しかし・・私がこれを食べてしまっては、殿の分が無くなってしまうのでは?」
「そんなの、また作れば済む話ですよ。
元々張遼さんに食べて貰いたかった物ですし、遠慮なさらないで下さい。」

それを聞いて、私のために?と小さく聞き返す彼へ、もちろん!と喜び勇んで答える。

「これでローストチキンもあれば、もっとクリスマスらしかったのでしょうけど。
そちらはさすがに売り切れてしまったので。あ、それとも甘いものはお嫌いでしたか?」

張遼がいつも紅茶に何も入れず飲んでいるのを思い出し、
上目遣いでおそるおそる伺えば、あからさまに目を逸らされた。
余計なお世話だっただろうかと、が心配していると、
彼は落ち着きなく視線を彷徨わせながら、ならばこう致そう、と提案してくる。

「私と貴女とで分けてしまえば良い。」

珍しく浮かべられたはにかみがちな笑みに釣られ、もまた唇を弓形にして頷いた。

「では、申し訳無いがこれを半分に切ってきて下さらぬか。」

と差し出されたケーキをニコニコ受け取ったものの、
ふと、ついさっき洗って、消毒まで施した調理器具の数々が頭を過ぎる。
あのぉ、とおずおず彼の顔色を気にすれば、
当然だが、いかがなされた?と尋ね返された。

「これ1口サイズですし、もうこのまま半分だけ食べて貰えませんか?
残りを私が頂きますから。」

厚かましいお願いだと思うものの、わざわざ切りに戻るなんて、手間も暇も勿体無い。

「そ、それは少々同意しかねる。私の食べ残しを殿に差し上げる訳には参りませぬ。」
「でも、たったこれだけのために包丁とまな板を出すのは面倒ですし。
それに張遼さん、あんまりお時間無いんでしょう?
私は平気ですから、どうぞパクっといっちゃって下さい。」

常に無い動揺を見せる張遼を尻目に、
兎に角時間切れだけは避けたいが笑顔でゴリ押しする。
いや、しかし、と尚もしぶとく抵抗を見せる巡査部長を黙らせるべく、
とうとうカップケーキを摘みあげると、出来るだけ可愛い声を作り、

「はい、アーン。」

と、彼の眼前に突きつけた。
でろりとだらし無くとぐろを巻いたクリームを凝視し、張遼は石のように固まってしまう。
無理やり貼り付けた最上級の笑顔が引き攣り出す頃、
彼はようやく観念したのか、おもむろにケーキへと口を寄せた。
気恥ずかしげに伏せられた睫毛が案外長くて、場違いな感動に息を呑む。
ぎこちなく開いた唇から綺麗に並んだ前歯が一瞬だけ覗き、
カップケーキを半分より少し多めに齧り取っていった。
それはスローモーションのような鮮烈さで、
の眼底へと克明に焼き付けられる。
自分で招いた惨状に今更心臓が暴れだした。
残りの欠片を急いで口に放り込み、

「うん、味の方は大丈夫でしたね!」

なんて、へどもどと照れ臭さを誤魔化したのだが。


殿、と。


明らかにトーンの下がった重い声が、いとも容易くの退路を奪ってしまう。
ふわっと空気が動いて、いつの間にか革手袋を外した大きな手が、
の火照った左頬に吸い付いた。
硬い親指の腹が、唇の輪郭を確かめるようになぞる。
どう反応して良いか分からず、おずおず視線を上げれば、
マグマのごとき熱量を秘めた瞳に真っ向射抜かれて泣きたくなった。
この男からこれほど狂おしく見詰められていた事に、今の今まで気付きもしなかったとは、
我ながら鈍感にも程がある。
敏感な粘膜に切ない温もりを残して不埒な指は離れていったが、
ホッと肩の力を抜いたを嘲笑うように、張遼は指先をぺろりと一舐めした。
予想外の連続に目を限界まで見開けば、

「クリームがついておりましたぞ。」

という取って付けたような理由と共に、昏く、蠱惑的な流し目を寄越してくる。
有難う御座います、と反射的に礼を述べたものの、
身の置きどころに困り果てて、はどんどん俯いた。

「大変美味でした。」

だなんて、意味深な台詞を言わないで欲しい。
こっちはもう充分羞恥の沼で溺れかけているのに、

殿・・・そう、お呼びしてもよろしいか?」

と、濃密な雰囲気を撒き散らし続ける男は、全く追撃の手を緩めなかった。
返事が喉に詰まってしまい、なんとかコクンと頷き返せば、
どこもかしこも猛々しい精悍な顔が、恥ずかしいほど愛おしげに綻ぶ。
いよいよ切なく掠れた声で、

「貴女に、聞いて頂きたい事があるのだ・・・。」

そう厳かに囁やくのを、は信じられない心地で聞いていた。

が。

張遼が言葉の続きを紡ぐ前に、食堂ホールの扉が軋んだ音を立てて押し開けられた。

「ああ、張遼殿!ここにおられたか。」

タイミング良く響いた渋い声の持ち主へと、が弾かれる様に振り向けば、
同じくライダースーツに身を包んだ長身のシルエットが、廊下から顔を覗かせていた。
ホウ徳殿・・と、張遼が同僚の名を苦々しく呻く。

「召集がかかり申した。隊員は速やかに車庫へ来るようにとの、呂布隊長の御指示だ。」

急がれよ、と相棒の不機嫌なオーラを受け止めて、ホウ徳が平然と連絡事項を伝える。
しばし沈黙した張遼は、はぁぁ、と盛大に溜め息を吐き出し、
まるで強調するように、殿、と下の名前を呼んだ。
は、はい!と慌てて返事をすれば、彼は酷く熱っぽい目でこちらを見詰め、

「続きは後日、改めて申し上げる。」

と殆ど強制に近い約束を取り付けた。
張遼殿、と焦れた声音が再度割って入る。

「はい、あの、外は寒いでしょうから、どうかお気をつけて。」

と、はパニック状態の脳内から、なんとか手向けを引っ張り出した。
どこか不貞腐れていた張遼は、それっぽっちの言葉で情けなく眉尻を下げ、
あのはっとする優しい笑みを浮かべる。

「何かと物騒な夜です。殿も、帰路には重々ご注意下され。」

なんて、少々過保護過ぎる忠告を残し、失礼致す、と踵を返した。
入り口の柱に寄り掛かったホウ徳と、すれ違い様に不穏なアイコンタクトを交わして、
均整の取れた後ろ姿が廊下に消える。

「それでは某もこれにて。殿も幾分お疲れの御様子ゆえ、
早々に帰宅して身体を厭われよ。」

そう、律儀に頭を下げるホウ徳へ、

「ホウ徳さんもお気をつけて!!」

と、張り上げたの声は、一足早く閉まった扉に跳ね返され、
ガランとした食堂ホールに寂しく木霊した。


















Round yon Virgin Mother and Child

Holy infant so tender and mild




頻繁に行き交う車のヘッドライトが、の歌声を白く煙らせる。
一番しか知らない歌詞を何度も何度も繰り返しては、きんと冷たい鼻を啜った。
何かと粋がりたがる中学生時代。
英語の教科書の巻末に載っていたこの曲を、そらで歌えるようになろうと試みた事があった。
結局、歌詞を覚えきる前にクリスマスが終わってしまって、以来ずっと中途半端なままなのだが。
それでも不自由は感じないし、第一独りぼっちの帰り道に鼻歌を咎める者などいやしない。
身を切るような真冬の夜風が、
放っておくと何処までものぼせ上がる頭を丁度良く冷やしてくれる。
なにしろ、三国無双署を出てからここまで、どうやってバスに乗ったかさえ覚えていない有り様なのだ。
張遼と別れた直後は、立て続けに起こった出来事に頭がついていけなかったが、
落ち着いてみれば、彼の態度は明らかに。

「好き、なのかな・・私の事。」

自分で口に出しておいて猛烈に恥ずかしくなり、うぅっと頭を抱える。

彼の事は好ましく思っている。
時々何を考えているのか分からない所はあったが、誠実なのは間違い無いし、
仕事に対して一途に揺るがない直向さを羨ましいとも思う。
けれど相手は警察官だ。
恋人になるなら、色々な意味でそれ相応の覚悟をせねばならないだろう。
はもう、10代の学生でも無ければ、社会に出たての若い娘というわけでもない。
張遼の年齢も合わせれば、どうしたって付き合ったその先の現実を考えてしまう。
年に一度の聖なる夜にさえ、素直に夢を見られない保守的な自分が哀しかった。
後日改めて、と宣言されてしまったが、その時までにどうやって心の準備をすれば良いのか。

地面に足がつかない心地で、三車線の国道に沿って歩道を歩いていたは、
視線を上げた先、等間隔に並んだ街路灯の下に座りこむ人影を見つけた。
飲み会で羽目を外し過ぎて、帰宅途中に酔い潰れてしまったのだろうか?
黒いダウンコートを着込んだ若い男性らしき人物は、の存在に気付くとおもむろに立ち上がった。
カランと1つ、アスファルトを叩く金属音が木霊する。
それが、男の手から伸びた鉄パイプが地面に打ち付けられた音だと気付いた途端、
ザァっと呆けていた頭から血の気が引いた。
確か、女性を狙った暴行事件が多発していると、あの人が言っていなかったか?

(なんで聞き流したんだろ・・・)

合肥町といえば、まさしく自宅付近ではないか。
にぃっと剥き出しにされた歯が、目深に被ったボア付きフードの下で鈍く光る。
足裏に張った怯えの根を引き千切るように、はなりふり構わず元来た道を駆け出した。
運の悪い事に、この辺りは寝静まった住宅地のど真ん中だったが、
いくらか手前に深夜営業の薬局があったはずだ。
そこまで逃げ切ればきっと助かる。
そう遠くない後ろから、鉄パイプを引き摺る嫌な音が絶えず追い駆けてきていて、
は振り返る事も出来ないまま必死に逃げた。
職場のおばちゃん達が現場の捜査官から聞いてきた被害者の悲惨な末路を思い出し、
勝手に涙が滲みだす。
大型トラックにタクシーと、何台もの車が2人を追い越して行ったが、
男の凶行に気付く者は皆無だった。
呼吸は激しく乱れ、助けを呼びたくとも悲鳴すら出ない。
とっくに感覚の失せた手足を、それでも無理矢理動かし続けていると、
暗い道の先に、ようやく薬局の看板が見えてくる。

助かった!

そう歓喜した瞬間、持ち上げきらなかった爪先がアスファルトの微かな段差に躓いた。
踵が殆ど無い浅めのパンプスがすっぽ抜け、氷のように冷たい歩道へと身体をしたたか打ち付ける。
それでも恐怖が痛みを遥かに凌駕し、本能的に振り返れば、
傾いだ視界の中、嬉々として走り出す悪鬼の姿が見えた。
ああもう駄目だ、と絶望する一方で、早く逃げろ!と頭の一部が命令する。
力が入らない手足を叱咤して、懸命に立ち上がろうと藻掻きながら、
恐慌状態の脳裏に浮かんでいたのは、家族でも友人でもなく、つい先ほど見送った張遼の後ろ姿だった。
すぐ背後から、絶対的優位に狂喜する男の息遣いが聞こえ、
本当にこれでお終いなんだと嗚咽を漏らしかけたの耳に、力強いエンジン音が届く。
強烈なサーチライトで何もかもが白く燃えた次の一瞬、
巨大な獣が猛然とガードレールを跳び越え、男の痩身を跳ね飛ばした。
ドッドッドッドッと重低音でアイドリングしながら、
を庇うようにして聳え立っているのが、大型のバイクである事にやっと気付く。
ひっくり返って動かない男を油断無く見据える背中に、先ほどまで縋り付いていた面影が重なって。

「張遼さん・・・。」

と、思わず零れ落ちた名前に、目の前の雄々しいシルエットが振り返った。
バイクを立て、迷いの無い足取りでの前にやって来ると、長い足を窮屈に折って跪く。

殿!大事ありませぬか!?」

そう焦燥が滲んだ張遼の声を聞いた途端、遂にの涙腺が決壊した。
ボロボロと大粒の涙が零れ落ち、悴む指が助けを求めて彼の袖にしがみつく。

「わっ・・わたっ・・こ・・くてっ・・!」

とても怖かったのだと伝えたいだけなのに、歯がカチカチと震えて上手く話せない。
嗚咽ばかり引き攣らせるの冷えた身体を、一回り以上大きな身体がすっぽりと包み込んだ。

「無事で良かった・・・!」

苦しいほど強く掻き抱かれて、耳元に安堵の吐息が熱く吹き込まれる。
助かったのだという実感がようやくジワジワ胸に湧き上がって、
へなへなとへたり込む身体を、分厚い胸板が難なく受け止めた。
背中を撫で続ける大きな手が優しくて、さっきとは別の涙で視界が歪む。

「ちょりょさん、ありがと」

と、舌っ足らずの涙声で礼を言えば、返事の代わりにぎゅうっと抱き締められた。
だんだん大きくなるサイレンの音に視線を巡らせれば、
張遼の肩越しに赤色灯の煌めきが近付いてくるのが見える。

「張遼殿。無線連絡も入れず独断専行とは、余程の緊急事態なのでしょうな・・」

と苦言を呈しながら白バイから降りてきたのは、こちらも先ほど別れたばかりのホウ徳で、
と目が合うなり、みるみる表情が険しくなった。
犯人は?という殺気だった問いに、
彼のバディーもまた、

「その辺に転がっている。」

などと、忌々しげに答える。
ホウ徳が哀れな通り魔の屍を探しに行った後も、
張遼はの腰に腕を回し、懐にやんわりと閉じ込めた。

「怪我はありませぬか?」

至近距離から涙で化粧の剥げ落ちた顔を覗きこまれ、慌てて両頬を撫で擦る。

「へ、平気です。ちょっと転んだだけですから。」

散々取り乱して子供みたいに抱きついた自分が、今更ながら恥ずかしく、
密着していた身体をそれとなく離せば、

殿もそう仰せなのだ。そろそろ開放してはいかがか?」

と、片腕に通り魔の身体を引っ提げたホウ徳が口を挟んだ。
国道の先からは、いくつもの赤色灯がこちらに向かってきており、
どうやら彼の連絡を受けた仲間が駈けつけてきたらしい。
ガードーレールの柱に腕を拘束されても昏倒したままの犯人を見下ろし、

「現行犯とはいえ、警察車両で轢くとは・・・始末書も覚悟せねばななりませぬな。」

やれやれだと首を振るホウ徳に、

「ぎりぎり当たってはおらぬ。彼奴が勝手に倒れたのだ。」

大方頭の打ち所でも悪かったのであろう、と張遼は得意のポーカーフェイスで無罪を主張した。

「私のせいですよね・・・助けて頂いた上に余計なお手間まで増やしてしまって・・・。」

少なからず彼等の激務を知っている身としては心底申し訳なく、
ごめんなさい、と傍らに立つ大男に謝った。

「あ、いや、それが我らの職務ゆえ。殿が気に病まれる必要は微塵もござらん。」
「そうですぞ。殿に非が無い事はこの私が一番存じ上げている。
配慮の足らぬ輩の心無い言葉など忘れて下され。」

なっ・・・と絶句する相棒を華麗に無視し、張遼はちゃっかりの手を両手で包み込んだ。
そうしている間にも、次々と応援の白バイ隊が駆けつけてきて
深夜の歩道は爛々と輝く赤色灯でライトアップされる。

「第二班所属、馬超巡査部長!只今到着致した!いざ、悪逆の輩を成敗いたぁす!」
「だからもう捕まっちゃったんだってば!はー、これでやっと帰れるよ。」

近所迷惑など何処吹く風と意気揚々現れた二人組みに、
座り込んだままでは失礼かと、は急いで立ちあがった。
どさくさで繋いだままになっていた張遼の手が離れ、急に指先が寂しくなる。

「馬超殿、少し声を落とされよ。犯人ならばこちらだ。」

二人とは訓練所の同輩であるホウ徳が渋面で注意したが、
彼等の興味は既に被害者の方へと移っていた。

「これはなんと!?殿ではないか!我等が食堂の天使を襲撃するとは、許しがたい・・なぁ岱!」
「わぁ、本当だ。って若、その発言はここじゃちょぉいマズいかも・・。」

ちっとも声量を下げる気がない馬超が、快活な笑みを浮かべ、ズカズカ張遼との間に分け入ってくる。
後ろに付き従う馬岱が、冷や汗混じりに静止したものの時既に遅く、先行組み2人の目が据わった。

「・・・その食堂の天使とは?」

足元を吹き抜ける夜風と同じ温度で張遼が尋ねれば、

「貴公はご存知なかったのか?食堂の常連は皆密かにそう呼んでいるらしいぞ。
なにしろ、殿が来てから飯が数段美味くなったからな!」

と、正直過ぎる男は本人の目の前で公然の秘密を暴露する。

「それは・・初耳ですね・・・。」

どこかに飛んでったままの靴を探してキョロキョロしていたは、
全く把握してなかった事実に、かぁっと変な汗をかいた。
まさか、そんな小っ恥ずかしい二つ名をつけられていたなんて。
今の話は本当か?と、張遼とホウ徳、2対の視線が馬岱へと向けられ、
鈍感な従兄の尻拭いを一手に押し付けられる。

「そーんな目で見られてもぉ・・元々は事務方の女の子達が呼び始めたって話らしいよ?
なんでもぉ野菜を増やして欲しいって要望、ずぅっと無視されてたのが、
さんに相談したら、翌月にはメニューに組み込まれちゃったもんだから、こりゃ奇跡だってなっちゃって。
最初は救世主とか女神とかいっぱい呼び名があったらしいんだけど、今は天使に落ち着いたみたい。」

ね?と可愛らしく同意を求められても、身に覚えが無い以上曖昧に笑うしかない。
前任の管理栄養士が随分杜撰な献立を立てていたのは認めるが。

「私のような新参者の話を、調理担当の皆さんが真摯に聞いて下さるからですよ。」

自分も一応調理に参加してはいるが、厨房の主役は長年あそこで働いてきたベテラン達だ。
彼女達が笑って許してくれるからこそ多少の無理が通るのだと、現状を説明すれば、

「おお!実に謙虚な心掛け!さすがは食堂の天使殿だ。ますます気に入ったぞ!」

そう豪快に笑って、馬超がバンバンの背中を叩いた。
張遼が、表情筋が消滅したかのような顔で、彼女を庇うようにずいっと一歩前に出る。
片やすっかり打ち解けたとご満悦の馬超を、馬岱が腕を掴んで引き戻した。

「おい!なんだというのだ、岱?俺はまだ殿に聞きたい事が・・。」
「残念だけど時間切れだよ。隊長殿のご到着だ。」

尚もマイペースに言い募る従兄にそう告げて、猛スピードでこちらへと突っ込んでくるミニパトを指差す。
警察車両にあるまじきタイヤのスリップ音をあげ、パトロールカーはガードレールぎりぎりに停車した。
白バイ隊員4人が素早く整列する中、もようやく見つかった靴を履きながら、
よたよた張遼の後ろに着いていく。
出迎えの準備が整ったところで、
ミニパトの運転席からのっそり出てきたのは、ホウ徳よりももっと大柄な警察官であった。
その凶相は公務員というより組員で、は本能的に視線を背ける。

「貴様ら、なんだこのザマは?犯罪を未然に防ぐためのパトロールだろうが!
よもや応援だからと手を抜いていたのではるまいな?あぁっ!?」

到着早々いきなり部下を怒鳴りつける隊長に、はいよいよ竦み上がって張遼の背後へと避難する。
彼の機嫌が悪い原因は交通課の董卓課長に、白バイでの出動を禁じられたからで、
三国無双署の白バイ隊員にとっては別段珍しくも無い日常の1コマなのだが、
そんな事、部外者の彼女が知るはずもない。

「お気を鎮め下され、呂布隊長。被害者が怯えております。」

常と変わらぬ冷静さで張遼が具申すれば、憤怒を剥き出しにした両眼が、の方へギロリと向けられる。
ひぃっと呼吸を止めて固まるを、
呂布はジロジロと上から下まで睨め回し、フンッと鼻息を吐いた。

「報告は本当だったか・・」

と呟いた真意が何かは分からないが、彼はくるりと背を向け、
未だ目覚めない犯人の方へとのしのし去っていった。

「で、こいつは生きているのか?」

と、通り魔の足を掴み上げ逆さ吊りにしている隊長に代わって、
パトロールカーの助手席から見目麗しい女性警官が降りてくる。

「ご無事で御座いますか、様!」

という鈴の転がるソプラノボイスを聞きつけて、恐る恐る顔を覗かせれば、
形の良い柳眉を心配そうに寄せた美人が息せき切って飛び込んでくる。
貂蝉さん!とも安心して張遼の後ろから出て行った。

「通り魔に襲われたと奉先様からお聞きしました時には身も凍る思いでした。
どこもお怪我はございませんか?」

胸を抑え、弱々しく尋ねてくる姿はより余程儚げだが、
何を隠そう剣道3段合気道2段の猛者である。
彼女もまた職員食堂のヘビーユーザーで、
なんでもの作る焼きプディングの大ファンなのだとか。

「はい。危なくなる前に張遼さんが助けてくださいましたから。
転んで膝を打ったくらいです。」

先ほどからずっとかけられ続ける労わりの言葉に恐縮しながら、
は笑顔で答えると、今夜のヒーローへ振り返る。
女二人の賞賛を受けて、張遼はむず痒そうに視線を伏せた。

「貂蝉、こいつを署まで連行するぞ!早く来い!」

他の捜査員を待つ事に5分と経たず飽きたらしい白バイ隊隊長が、
ようやくお目覚めの犯人を大いに竦み上がらせながら、狂犬のように吼え立てる。
はい奉先様、と対照的な愛らしい返事を返して、

様はいかがなさいますか?ご一緒に署へ戻って事情聴取を受けて頂く事も出来ますが、
今からお話を聞くとなると、御帰宅は深夜になってしまいます。
現行犯逮捕ですし、何より様は被害者ですもの、
明日の朝改めて、という事でも構わないかと。」

そう、花のごとく微笑む友人の好意に、は喜んで甘えさせて貰う事にした。
天と地ほどの落差をジェットコースターで延々往復した気分なのだ、
早く帰ってまったりお風呂に浸かりたい。

「病院にお送りする事も出来ますけれど?」

なおも気遣ってくれる貂蝉を、まだなのか!?と呂布が呼び付ける。

「有難うございます。でも、本当に転んだだけですから。
このまま、家に帰ります。どうせすぐそこですし。」

と、ミニパトの横で今にも犯人を締め上げそうな形相をしている隊長殿を見やり、
は、むしろ貂蝉の方が心配だと、苦笑いで断った。

「ではご自宅まで警護をお付け致しましょう。」

貂蝉がそう言った途端、各々の白バイに戻っていた隊員達がざわりと顔色を変える。

「では、私が。」

真っ先に名乗りを上げた張遼の台詞に被せる様にして、

「その任、俺が引き受けよう!!」

と元気良く馬超が挙手した。

「若だけだなんて、何をやらかすか分かったもんじゃないよ。
って事で、俺もお目付け役としてついていきますね。」

などと、諌める振りをしてちゃっかり便乗する馬岱に、

「本懐を果たしたとは言え、パトロールは未だ継続中なれば。
2人も人員を割く必要は無しと存ずる。」

と、ホウ徳が正論で戒める。

「それに、バイクをどうするおつもりか。まさか置いて行くわけにもいくまい。」
「そんなもの、押して歩けばどうとでもなるぞ!」
「そうそう。ホウ徳殿ってば、そんなにさんと2人っきりになりたいの?」

姑息な同輩に、えっちー、と茶化されて、
寡黙な男は眦を仄かに赤くし、むっつり黙り込んだ。

「各々、控えられよ。殿を保護致したのは私なのだ。
ならば最後まで護衛を努めるのが責任というもの。」

元々悪い目付きをますます冷淡に細めて切り込んでいく張遼に、

「そんなの、たまたま張遼殿の警邏ルートだったってだけじゃないの。」
「我々が発見していたなら、迷わず同じ事をしていた!」
「そもそも、貴公はバディーである某に無断で特攻していったのであろう。」

と急に団結した3人が口々に反論する。
警護対象をほったらかしにして揉めに揉める4人へ、

「おいっ!!」

と、上司の怒号が炸裂した。
ほとんど条件反射で姿勢を正した部下達が一斉にそちらへ注目すれば、
ミニパトの後部座席へと窮屈そうに納まった呂布が、半分開いた窓から、

「張遼、今夜はよくやった。」

と、褒め言葉を素っ気無く放つ。
どうやら決定が下されたらしく、
残りの3人はブツブツ不服そうにぼやきながらも、
あっさり自分の車両に戻って行った。
エンジンが次々と勇ましい気炎を上げ、
赤色灯が秩序を守る番人の存在を夜闇に誇示する。

「では殿、明日また食堂で会おう!
事情聴取に不安がある時は、いくらでも力になるぞ!」
「おやすみさん。もし眠れなかったり嫌な夢見たりした時は、
署の方に専門のカウンセラー居るから心配いらないよ。」

先導するためパトカーの前に並んだ馬超と馬岱が、に向かって挨拶し、

「必ず無事に送り届けるのだぞ!」
「くれぐれも勤務中だって事忘れないでよね!」

そう、彼女の隣に立つ張遼にそれぞれ釘を刺す。
どことなく勝者の余裕を感じさせるポーカーフェイスで、
彼は素直に相分かったと了承した。
並走する白バイと、犯人を乗せたミニパトが去ってから、
最後尾のホウ徳がバイクに跨がったまま、2人の前に横付けする。

殿。今は大事無くとも、歩き出せば何かしら不調をきたすやもしれぬ。
その時はすぐ夜間救急へ赴かれよ。
必要とあらば張遼殿を存分にこき使って下さって構いませぬゆえ。」

そう、こちらも中々の言い草で念を押すホウ徳に、
重々気を付けます、とは笑顔で頭を下げた。
彼は、張遼とはまた雰囲気の違う口髭をほんの少し綻ばせ、
すぐにしかめつらしい表情に戻ると、件の相棒へ視線を移す。

「・・・今は、お譲り致そう。」
「さて、次など無いやも知れぬぞ?」

そう、互いしか理解出来ない会話を交わし、
どちらともなくニヤリと不敵な笑みを浮かべ合う。
然らば御免、と別れを告げ、
赤い光を棚引かせた大きな後ろ姿が遠ざかって行った。































Sleep in heavenly peace,

Sleep in heavenly peace 




国道から脇に入った緩やかな坂道を、2人でバイクを押しながら進む。
最初こそ、大丈夫だと辞退した張遼だったが、
白バイに触れられる機会なんて滅多に無いのだから、
が懇願したため、苦笑1つで了承してくれた。
あまり役には立っていないが、それでも懸命に、ゴテゴテしたバイクの尻を押す。
1番しか覚えてない歌を上機嫌で口ずさみながら、
今はヘルメットを被っていない張遼の、黒々とした後頭部を眺めた。
夜風にそよぐ短い髪の向こうに満天の星空が輝いている。
視線を前に戻すとハンドルを掴んでいる力強い両腕が見え、
あれに掻き抱かれた時の感触を思い出して、1人赤面した。
鼻歌が止まった事を不審に思ったのか、いかがなされた?と張遼が肩口に振り返る。
ますます、真っ赤になったは、

「な、なんでも無いんです!ただ楽しいな、と思って!」

と早口に言い訳する。

「楽しいのですか?」

意外そうに聞き返され、嘘を言ったわけではないから、そうですよ、と肯定した。

「ほら、学生さんのカップルってこんな感じじゃ無いですか?
どっちかの自転車を押しながら放課後一緒に帰ったり。」
「左様か・・私が普段見かけるのは、二人乗りで車道を爆走してる連中ばかりなので。」

言ってから例えが古臭かったかと後悔しただったが、
張遼が斜め上の回答をしたせいで思わず噴き出してしまう。

「ふふっ、そんなクリスマスデートは嫌だなぁ。」

そう、笑いを止められないままぼやけば、

「・・クリスマスデートなのですか?」

と、未だ勤務中の巡査部長が神妙に聞き返してきたので、

「ええ、もちろん。
イブの夜に素敵な殿方が家まで送り届けて下さってるのですから、立派なデートです。」

と、半分本気を混ぜて、明るく茶化す。
急に応答しなくなった背中が気不味くて、
冗談ですよ、と言い掛けただったが、その前に、

「来年はちゃんとしたクリスマスデートにお誘い致す。」

と生真面目な返答が帰ってきた。


ムズムズと落ち着かないのに、嬉しくて仕方ない。

久しく忘れていたこの感情を、胸の一等真ん中に飾っても良いだろうか。


「・・張遼さん。私ね、通り魔に襲われて、もう駄目だって思った時、
貴方の後ろ姿しか浮かばなかったんです。
あれが走馬灯だったなら、親とか兄弟とか友達とか、
他にもっと色々あって良さそうなのに。」

貴方しか出て来なかったの。

そう、あの時心の中で必死に助けを求めた背中へと告げる。
とうとう登りきった長い坂道の天辺に、息を飲む音が慎ましく響いた。

「・・辛い目にあったばかりの貴方に、今ここで言うべき事ではないのでしょうが。
それでも、食堂では叶わなかった話の続きを・・。」

強く強く押し殺し、それでも激して震える掠れ声を、待って!とが遮る。
振り向かない張遼がピタリと沈黙し、ついでに二人の足も止まった。
髪の先まで張り詰めた緊張に、何度も浅い呼吸を繰り返してから、
がもう一度、待って下さい、と同じ言葉を告げる。

「坂を降りたら、すぐに私の家ですから。続きはそこでお願いします。」

じゃないと張遼さんの顔が見えない。

の微かな懇願が空気に溶けた途端、
張遼は流れる様にバイクスタンドを立てると、
唖然とする彼女の腰を片腕で掻っ攫った。
気付いたら頬に冷たい革の感触があって、いささか混乱しながらも、
迷う事なくその広い背中に腕を伸ばす。
いよいよ狂おしく抱き締められ、身長差のせいでの爪先がぷらんと宙に浮いた。
待ってって言ったのに、と押し付けられた胸板へ拗ねてみせれば、
申し訳ない、と律儀に謝ってくれる。
到底我慢など出来なかったと、ようやく地面に降ろしてくれた張遼が、
その立派な髭まで垂れ下げて、情けなく微笑む。
愛おしさを溢れさせた切れ長の双眸を、ちゃんと正面から見上げ、
は聞きそびれた聖夜の贈り物を、とうとう手に入れたのだった。














END











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ホウ徳さんはこのえにしだが幸せにする!!ww