※ caution ※

・蜀ifルート長安奇襲戦の後日設定。
・といいつつ色々好き勝手に改変。
・鳳雛の帽子の下は、各自心眼を研ぎ澄まして下され。

以上を寛大な御心で了承頂けると助かります。






















『策を弄して罠に落つ』 
























君子に三戒ありとは言うが。


(どうやら、夏侯楙ってのは君子にゃほど遠い男だったみたいだねぇ)


色欲、闘争欲、物欲。その悉くに溺れた結果、見事な醜態を晒しての敗走と相成った。

それほどまでに、この地は人を狂わせるのか。

かつて呂布が色に惑い義父である董卓を切ったのも、

董卓亡き後、残された権勢を巡って血みどろの闘争が繰り広げられたのも、ここ長安であった。

幾たびの動乱を経てなお、不気味なほど荘厳さを失わぬ巨城、その一室で、

ホウ統は魏の置き土産を眺めながら、いつもは帽子に隠れている剥き出しの額をとんとんと拳で叩いた。

今回の奇襲があまりにも上手く運びすぎたからなのか、そもそも管理が杜撰だったのか、

魏軍は政から軍事まで重要な書簡のほとんどを処分しないまま撤退したようだ。

おかげで、暫定統治も円滑に進んでおり、

侵攻戦だったにも関わらず、長安の民達は蜀軍を概ね好意的に受け入れてくれている。


「まぁ、前主の評判があんまり悪すぎたってぇのもあるんだろうよ。」


何しろ捕虜として捕えた敵軍の文官達が、一番活き活きと働いてる始末だ。

すっかり塒と化した三間続きの広い広い執務室で、

ホウ統は膝の上に乗せた竹簡を斜め読みしながら、

この部屋の主であった夏侯楙についてそう評価を下した。

元々は趣味の悪い虎毛皮の敷物が敷かれ、成金趣味の調度品がこれでもかと飾られていた執務室は、

今や、壁一面を埋め尽くす書架と、そこにさえ納まりきらなかった竹簡書簡の連山によって、

立派な仕事部屋へと変貌を遂げている。

そろそろ、唯一の生活圏である文机の周辺さえ、報告書で埋め尽くされそうな勢いだった。

独坐も無いこの部屋で、本日めでたく10回目の夜明けを迎えたホウ統である。

さすがに床でごろ寝を続けるには体の節々が辛くなってきていたが、

裁可を下すべき案件は、目の前にうず高く積まれた竹簡の数だけ存在した。

部隊の再編成に軍備兵糧の補充、周辺集落の治安維持も必要であるし、

洛陽への道を封鎖している関にも至急増援を送らねば、

攻め易しと判断した魏軍が、大挙して押し寄せてくるだろう。


(出来るなら、ここらで元直とも話しておきたいところなんだけどねぇ・・・)


生憎と同門の朋友には、新しく臣従した麒麟児と共に政の慰撫を任せている。

恐らくはこちらと同じく、雑務に追われて執務室に閉じ籠りっきりだろう。

ホウ統が多少なりとも眠る暇を得られているのは、

彼等が頑張ってくれているおかげだった。


(今ならば、先生の真意が分かる気がするよ。)


恩師である水鏡こと司馬徽から、鳳雛などと大層な呼び名を頂戴した時は、

柄にもなく気負ってみたりもしたが、

思い返せばあれは彼一流の助言だったのだろう。


類まれな才を持ちながら慎重過ぎる性格ゆえに中々天へ昇るを得ない臥龍、諸葛亮。

か弱い雛である自覚も持たず独りふらふらほっつき歩いた挙句落命しかけた鳳雛、ホウ統。

そして、文武両方に秀でながら情に迷い惑い結局どちらも極められぬ無銘、徐庶。



互いに互いの欠点を自覚し、それを補い合えば、

やがて龍は昇り、雛は鳳凰へと育ち、無銘には天下が自ずと名を付ける。


(あっしら三人で一つだって、先生はとっくに御見通しだったわけだ。)


だが、男というのはどうにも意地を張りたい生き物で、

特に相手が同じ高みを目指す者となると反目せずにはいられないのだ。


(まぁ、随分遠回りしちまったが、最善の形に納まったのはこの上ない幸運だったねぇ。)


どうせ、この忙しさもあと数日の辛抱だ。

本拠である成都からは、長安陥落の報が届くと同時に、

本格的な統治のための文官団が出立したと聞いている。

大方、事前に諸葛亮が詳細な人事を決めていたのだろう。

今はまだ南蛮の空の下に居る同門の、周到過ぎる手腕にホウ統は舌を巻いた。


(もうすぐ、あっしらが目指した天へと手が届くかねぇ。)


窓枠に四角く切り取られた蒼天球を、眩しげに目を細めて眺めていると、

自慢の地獄耳に微かな靴音が聞こえてくる。

ホウ統は慌てて脱ぎ捨てていた帽子を拾い上げると、いそいそ被り直した。

少しだけ正面からずれてしまった鍔を正しく整える暇も無く、

きぃっと引き扉の軋む音が執務室に響き渡る。


「失礼致します。」


と、抱えている籠から生えた洗濯物の柱で、顔まで隠れてしまっている女官が、

それでも律儀に浅く腰を折った。


「乾いた衣類をお持ち致しました。」


今日はとっても天気がよろしゅうございますねと、空いている隙間に籠を置いて、

女官がその可憐な笑顔をこちらに向ける。


「そうさねぇ。こういう日にゃあ、木陰なんかでのんびり昼寝するのが一番さ。」


慌てふためいて帽子を被った事など億尾にも出さず、

ホウ統は唯一彼女に見えている目元を弓なりにして、鷹揚な返事を返した。

まぁ、それはさぞや気持ちが良いでしょうね、と嬉しそうに賛同して、

女官は綺麗に畳まれた洗濯物を手際良く行李へと仕舞っていく。

長衣に夜着、平服に武道着なんてものまで。

日向の匂いがするであろうそれらは全て、この娘が彼方此方から掻き集め、

わざわざホウ統の身体に合わせて繕い直した物だ。

彼女の字は

此度の戦で、城門を開ける手引きをしてくれた姉妹の、姉の方である。

元々この城の女官だったとは聞いていたが、

蜀軍が見事勝利し、囚われの身であった妹を無事助けられた後も、

執務に忙殺されるホウ統の世話を甲斐甲斐しく焼いてくれていた。

なんでも自分から傍仕えを申し出たとか。


(さしずめ、妹を助けてもらった恩返し、なんてところかねぇ。)


ふんふんと上機嫌で鼻歌を口遊むまだ二十歳そこそこの娘は、

見た目こそ白百合のように清楚な風情だが、

馬岱に連れられて山中の陣へと単身現れた時も、

先行して城門を開け蜀軍を手引きするなんていう、

大の男でさえ尻込みするような危険極まりない使命に挑んだ時も、

終ぞ取り乱す様を見せなかった。


(これで案外胆の据わったお嬢ちゃんだよ。)


と、先ほどからずっと放ったらかしにされていた竹簡へ再び目線を戻した所で、

老竹色の帯をくるくる巻き直していた女官が、まぁ!っと非難めいた悲鳴を上げる。


「あれほど申し上げましたのに、まだお召し替えになってらっしゃらないのですね?」


と、口調こそ丁寧だが、彼女の豊かな感情をくるくる映す大きな瞳に、

不満の色がはっきり溢れていた。

そういえば、今朝早く雨戸を開けに来た彼女から、

いい加減着替えをする様にと平服一式を渡された気がする。


「おや、そうかい?今着てるのがお前さんの出してくれた服だと思うんだがねぇ?」


などと、文机の脇で置きっぱなしにされていた服をこっそり足の下へと隠しつつ、

既に3日着た切りの長衣の袖を広げて見せた。

けれどはやれやれといった様子で腰に両手を当て、呆れ顔を作る。


「またそのように煙に巻こうとなさって!ちゃんと覚えてるんですからね!

私がお渡ししたのは錆鼠に桑染めの合わせだったはずです。」


そう、しかめつらしく小言を並べると、

ホウ統が陣取る文机の前までやってきて、失礼致しますとおざなりに許しを請いながら、

彼の膝の下からはみ出した着替え達を引っ張り上げた。

びろろんと垂れ下がった錆鼠色の長衣を見せつけながら、

何か申し開きがございまして?という顔をする女官殿を見上げ、

ホウ統は口当ての下でさも楽しそうにほくそ笑む。


「ありゃりゃ、見えちまってたんじゃとんだ下策だったねぇ。」


こいつぁ軍師失格だよ、などとちっとも懲りていない口振りのホウ統に、

はしわくちゃになってしまった長衣を畳み直しながら嘆息を返した。


「もう!そのような御戯ればかりなさって・・・今、洗い立ての物に取り換えて参りますので、

今度こそは着替えて頂きますよ。」


そう念を押しながら、救出した服達を抱えて行李に向かう女官の背中を、

ホウ統が参ったねぇと見送っていると、彼女は肩越しに振り返り、


「つい先ほどまで干していた物ですからね。お日様の匂いがしてきっと気持ちが良いですよ?」


そう極上の笑顔を向けてくる。

まるで太陽のように輝く娘は、ホウ統から呼吸さえも奪っていった。

が執務室に軟禁状態のホウ統を慮って、何くれと心を砕いてくれているのは知っている。

そして、その気遣いがどのような感情から来るものかも。


(いやはや、なんであっしなんかに惚れちまったかねぇ。)


色恋に限らず、情動の機微に敏感でなければ軍師など務まらない。

朝に夕に彼女から注がれる密やかな好意は、ホウ統の胸をその都度面映ゆくさせてくれたが、

同時にほろ苦い諦念も伴った。


(まさか堅気のお嬢さんに手を出すわけにはいかないさ。)


がもたらす微温湯のような心地よさにずるずる甘えさせてもらったが、

そろそろ潮時だろう。

あんまり情が深くなると、お互い別れが辛くなる。


「・・・ちょっといいかい、殿。」


珍しく固い声音で呼び止めたホウ統へと、淡く色付いた蕾のような娘は怪訝そうに振り返った。


「どうも勘違いしてやしないかと思ってね。お前さんが、あっしに恩義を感じる必要なんざ、微塵も無いんだよ?」


そう、やんわりと拒絶を含んだ台詞を吐けば、

気丈な女官はその瑞々しい双眸をごく微かに揺らした。


「・・・何をおっしゃられるのです。私共姉妹が笑顔を失わずに再会出来たのは、

軍師様の御蔭ではございませんか。」

「そう、そこがそもそもの間違いなのさ。大体、お前さんを見つけて陣まで連れてきたのは、

密偵として城下に侵入してた馬岱殿だし、話を聞いて一番憤慨してたのは馬超殿だよ。

お前さんの申し出はこちらの利になるなんて口添えしたのは元直だし、実際に妹さんを助け出したのは魏延殿だ。」

「で、ですが、軍師様のお許しを頂けたからこそ、私は妹と・・・」

「いいや、殿。あっしはねぇ、戦に勝つためにお前さんを利用したに過ぎないんだよ。

もし、お前さんの申し出が進軍の邪魔になるようだったら、あっさり切り捨てちまってたさ。

お前さん達姉妹の事情も。もしかしたら命さえ、ね。」


そうきっぱりと言い切れば、先ほどまで実に楽しげだったの顔に、みるみる動揺が広がっていく。

なぜ、今頃になってそんな話を聞かせるのだと、その凛と麗しい瞳が真っ直ぐ告げてきた。

けれど、てっきり感情的に否定するかと思いきや、

一見なよやかな娘は意図的に呼吸を落ち着け、


「・・・・確かに、軍師様のおっしゃる通りなのかも知れません。

それでも、私達姉妹が助けて頂いたのは揺るぎない事実にございます。

私が軍師様にお仕えする理由は、それだけで十分なのです。」


そう、淡々と己が意志を貫き通して見せた。


(芯の強いお嬢さんだとは思ってたが、なんとまあ折れないもんだねぇ。)


手っ取り早く嫌われようとしたのに当てが外れて、ホウ統は次の懐柔策を考えながら、

いよいよ眩しそうにを見つめ返す。


「好いてくれるのは有り難いんだがねぇ、あっしはお前さんが想ってるような男じゃあ無いんだよ。」


弱みを突くのが兵法の鉄則。

隠し果せていると思っていた淡い恋心をあっさり看破されて、さすがにはかぁっと頬を赤らめた。

あれほど清廉であった視線が宙を彷徨う。

その様は実にうら若き乙女に似つかわしく、ホウ統は我が身との違いを苦く受け止めた。


「軍師なんてぇのは、実なし、情なし、人でなしってね。

そりゃ返り血も浴びずに、幾千幾万って他人様の命を手玉に取ってる輩なんざ、碌なもんじゃないさ。

お前さんにあっしの業は受け止められやしないよ。」


飄々と、けれど薄氷のように鋭く冷たい拒絶の呪文を、娘の柔らかな純情へ突き立てる。

眉根を寄せ、いつだって明るい笑みを絶やさなかった唇を悔しげに噛みしめるを、

ホウ統は憐れみを込めて見つめた。


(すまないねぇ。けど、こうでもしないと、お前さん諦めてくれないだろう?)


ジクジクと胸を侵す嫌な痛みを、こんなものは慣れっこさと嘯いて、

後悔に気付かないふりをする。

細やかな好意さえ無残に否定された娘は、辛そうに俯いたまま、

それでも声を絞り出した。


「ならば・・・ならば、この私もまた・・鬼にございます。」


耳にようやっと届いた彼女の台詞は、予想だにせぬもので、

ホウ統は目深に被った帽子の奥から怜悧な視線をへと注いだ。


「・・・毎日挨拶をしてくれていた城門の衛士様は、

もうすぐ御子が生まれるとおっしゃっておられました。

郷里に婚約者を待たせているとおっしゃっていた副将様は、

酒宴の時など悪酔いされた方々から女官を守って下さいました。

いつも厩におられた兵卒の方に、想いを請われた事もあります。

皆様とても優しくして下さったのに、私は妹の無事と引き換えに、

それら全てを見殺しにしたのでございます。」



まるで我が身を守るように二の腕を掴んだの、柔らかな肌に食い込んだ細い指が白く震える。

今にも泣きだしそうな双眸が、

それでも雫を零さないのは、己に泣く資格など無いと自責しているからだ。


「恐らくはどの方も、あの戦で命を落とされたか、

そうでなくとも酷い目に合われた事でしょう。

それなのに、私は・・・妹を助けられて良かったと・・・、

貴方様にお会い出来て良かったと、心底喜んでおります。

これが毒婦の所業でなければ、何でございますか?」



引き絞られた喉から漏れる懺悔はあまりに痛々しく、

あの、見る者全てを明るくする笑顔の下で、

ずっと罪の意識に苛まれていたのだと思うと、

考えの至らなかった自分が情けなくなる。

彼女は軍属どころか、同じ志に集った仲間ですらない。

ただ妹の身を案じただけの心優しい娘を、

都合の良い手駒へと仕立て上げた挙句、

あまりに重たい罪を背負わせてしまった。

あぁ、と口布の内側に小さな呻きを吐き出して、

殆ど隠されているホウ統の顔が醜く歪む。

棒立ちのまま、薄い肩を震わせ続けるへと、

己の不明を踏み締める様にして一歩一歩近付きながら、


「・・・言っただろう?あっしはお前さんを利用したに過ぎないと。」


ホウ統は低く掠れた声で囁いた。


「お前さんはね、ただ妹を理不尽な暴力から救いたかっただけさ。

姉が妹を思う事の何が悪いんだい?ただ、頼る相手を間違っちまったんだよ。

お前さんは騙されたのさ。弱みに付け込んで悪巧みの片棒担がせるような悪党にね。」


全部あっしのせいにしちまいな、と言外に滲ませながら、

同じ高さにある丸い頭をやわやわと撫でれば、

その手を弾くように顔が上げられる。

はその麗しいかんばせを悲壮に歪ませて、勢い良くホウ統の体へしがみ付いた。

首へと回された娘の細腕が帽子を吹き飛ばし、

普段衆目に晒される事の無いホウ統の髪を露わにする。

密着した部分から否応なく伝わってくる柔らかな感触に眩暈を覚えながら、


「ありゃあ、困ったねぇ。嫁入り前のお嬢ちゃんがこんな事をしちゃいけないよ。」


と嘘つきな口ばかりが滞りなく働いた。

けれど、ますます熱い身体を押し付けながら娘は嫌々と駄々を捏ねるように首を振る。


「私は・・馬将軍に付いて貴軍の陣へ赴きました時から、

妹を救うためなら外道になる事も厭わないと覚悟を決めておりました。

だから、この痛みは私が背負うべき罰でございます。」


それに、と至近距離から覗き込んでくる強い意志を宿した瞳が、

ぞくりと背筋を粟立てるような切ない艶を帯びる。


「やはり私には、軍師様に焦がれる心を止められません。

だって触れればこんなに温かいのに、

どうして人では無いなどと思えましょう?」


囁くように注がれる睦言に、ホウ統の血がかっと燃え上がった。

彼女のほんのり紅を引いた唇が、ふわっと弧を描くのを、

まるで白昼夢のような心地で眼底に焼き付けていると、

次の瞬間、心を根こそぎ攫ってしまう柔らかな感触が、口布越しに押し当てられる。

そんなはずも無いのに、舌の上をじんわりと甘さが広がって、唇が狂おしく痺れた。

刹那の逢瀬を終え、去って行こうとする果実を、

逃がしてなるものかと凶暴な両腕が追い縋ったが、ホウ統はそれを寸でのところで押し留める。

焦点を結べる距離まで顔を離した娘が、照れ臭そうに笑って、


「次はきっと口布を降ろして下さいませ。」


と珠玉のような瞳を揺らめかせながら囁いたが、

己が本能に必死で抵抗している最中の男は、ただ小さく頷き返すのがやっとであった。

が、これまでで一番華やかな笑みを浮かべ、

そのどこもかしこも柔らかい事を知らしめた身を、跳ねるように翻す。


「そ、それでは私はこれで失礼致します。」


引き扉の前まで退散した恋する娘は、一応礼だけは優雅にしてみせると、

するりと廊下に逃げ出した。

ぴくりとも反応出来ないまま呆然とそれを見送ったホウ統は、

ぎしぎしと軋む歯車のように、ぎこちない動きで転がったままの帽子を拾い上げる。

すると立ち去ったとばかり思っていたが、

ほんの少し開いた扉の隙間から真っ赤に茹で上がった顔だけを覗かせた。


「申し忘れておりましたが、新しい平服は行李の上に置いてありますので、

今度こそ必ずお召し替え下さいませ!」


そう早口に言い付けて、再びぴしゃりと部屋の入り口を閉めてしまう。


「いやぁ・・どうしよぉぉ・・・!」


というか細い悲鳴が、壁一枚挟んでもしっかり聞こえてきて、

ホウ統は情けなく眉尻を垂れた。


「さぁて、本当にどうしたもんだろねぇ。」


被るでもなく仕舞うでもなく、手の中で帽子の鍔を弄びながら、独りごちる。

本拠からの統治団が到着するまであと数日。

彼等への引継ぎが済めば、ホウ統はお役御免となり次の戦場へと向うことになる。

出立すれば、もう二度と長安に戻る事は無く、

彼女との縁もそれっきりだ。


(参ったねぇ、いっそ攫っちまおうか。)


つい先ほどまでを遠ざけようと画策していた頭で、

今度は彼女を籠絡する奸計を巡らせる。

まぁ、素直に頼めばあっさり着いて来てくれそうな気もするが、

名に背負う鳳凰の雛をどっぷり嵌めてくれたのだ、

泣いて驚く顔を見らねば策士の沽券に関わる。


(どれ、たまには戦以外にも、あっしの才とやらを使ってみるかねぇ。)


と、同門の弟弟子達が聞いたら驚愕しそうな甘ったるい罠を、

ホウ統は次々に脳内の布陣図へと張り巡らせた。

その口布の下には、初心な生娘を誑かす悪党そのものの笑みが浮かんでいたとか。

やがて近い内に、だけが知る話。






















〜13/08/02