※ caution ※


・ヒロインがアホの子
・ 愛馬の名前が「隆々」固定
・安定の捏造設定

以上をご了承の上でお楽しみ頂ければ幸いです。















馬の耳を春風が擽っていく。

柔らかな陽光に温められた地面からは、土の匂いと草いきれが立ち上り、

気持ち良く晴れあがった空には、ぷかぷかと羊雲の群れが浮かんでいた。

こんな長閑な日に戦とは。


「いっそ皆ここで昼寝しちゃえば良いのに。」


そうすれば血で血を洗う争いなんて馬鹿らしくなるだろう。

なだらかな傾斜が延々と続く広野一面に、ぽっと明るく灯を灯した黄色い花々を眺め、

は思わず愚痴を零した。

すぐ隣では滑らかな毛並みを黒光りさせた愛馬が、素知らぬ顔で草の新芽を食んでいる。

元々の一族は青州に代々続く馬飼いで、

黄巾の残党が流入し家も家畜も全て奪われた際、命からがら逃げ延びた所を曹操軍に拾われた。

あの時、共に生き残った仔馬が今や雄々しい悍馬である。

筋肉が浮き上がった逞しい首筋に掌を当てれば、

光を吸収してほかほかと温かく、汗でしっとりと湿っていて。


「うーん、隆々にはちょっと暑過ぎるかな?」


何しろ真っ黒だもんねぇ、と笑えば、主の言葉に反応するように、

漆黒の駿馬はぴくぴくと耳を振って見せた。

どこから飛んできたのか、赤い天道虫が一匹、彼の大きな背中の上をちょこちょこ歩き回っていて、

が指先で軽く払い落とせば、いとも簡単に転げ落ちる。

哀れな天道虫を追って視線を落とすと、ひょろりと茎を伸ばした蒲公英の綿毛が気持ち良さそうに風に揺れていた。

幼い頃はそれこそどこにでも生えていたような気がするのだが、

大人になり視線が高くなったからなのか、それとも別の何かが変わったせいか、

えらく久しぶりに見た気がする。

衝撃で散ってしまわぬよう優しく折り取って目の前にかざせば、

真ん丸真っ白の綿毛に守られた幾粒もの茶色い種が透けて見えて、

は悪戯小僧よろしくにぃっと笑うと、思いっきり息を吹きかけた。

理不尽な強風に晒された綿毛は悲鳴を上げるようにして散り散りに舞い散り、

ふわりふわり春の野へと旅立っていく。

一吹きで上手い具合に全ての種を飛ばせた事に満足し、

調子に乗ったが、他に綿毛は無いかと本格的にしゃがみ込んで探していると、


「これはまた、随分愛らしい事をされていますね。」


と、遠くから親しげに声をかけられた。

完全に不意を突かれ、泡を食ったが慌てて立ち上がれば、

共に幾つもの死線を掻い潜ってきた相棒は既に警戒態勢へと入っていて、

声のした方向を不審そうに凝視している。

微かに緊張して固くなった巨体を優しく撫でて安心させながら、

自分もそちらへと目を向ければ、てっきり兵卒仲間の誰かだと早合点していた声の主は、

こんな場所に居るはずも無い遥か高位の上官だった。


「が、がが楽将軍!?えーっと!これは決して怠けていたわけではなくてですね、

集合の合図があるまでまだ少々時間がありまして、それで・・・」


と、は必死に言い訳をまくし立てながら、大急ぎで跪き敬礼した。

その動揺っぷりがよほど哀れに見えたのか、彼は苦笑を浮かべ、


「すみません、どうやら驚かせてしまったようですね。

叱責しようと声をかけた訳ではないので、そう畏まらないで下さい。」


と、まるで自分の方が失態を犯したかのように詫びてくる。

楽進の礼儀正しい生真面目な反応が、

さっきまで餓鬼臭い一人遊びに興じていたを余計恥ずかしくさせた。


(うぅぅ、いつから見られてたんだろう。呆れられたかも・・・)


もじもじと居心地悪く身動ぎしながら、

さてこの場をどう切り抜けようかと視線を泳がせていると、

今や押しも押されぬ一軍の将となった兵卒憧れの星は、

まるで真似するように手近に生えた綿毛を手折る。

今にも崩れてしまいそうな儚い球体は、

楽進のふうっと優しい吐息によって、見る間に空へと溶けていった。


(わ、綿毛になりたいぃぃ!)


満足そうに見送る彼の横顔を食い入るように見つめ、

ぶわっと煩悩を溢れさせたが心中で唸る。


「はは、上手くいきました。子供の頃は私も良くこうやって飛ばして遊んでいたんです。」


と少し照れ臭そうにはにかんで振り返る将軍殿の、

少年のように無垢な笑顔があまりに眩しく、

は己の邪な視線を慌てて逸らした。

顔がじわじわと熱くなるのを感じながら、

将である彼が何故こんな所に護衛も連れず単身現れたのか考えあぐねいていると、

すぐ隣まで歩み寄って来た楽進が、


「ちょうど拠点の設営が終わったところで、今は小休止なのです。殿は、これから偵察任務ですか?」


そう、まるでこちらの疑問に答えるかのように説明してくる。

思索に気を取られていたは、一瞬遅れてはい!と反射的に返事してから、

彼の台詞を頭の中で反芻し、あれ?と疑問符を浮かべた。


「あ、あの・・・私の名前、覚えておいでなのですか?」


と、彼の質問に答えぬまま思った事を言葉にして、しまったまたやっちまったと顔を顰める。

昔から考えた事がつるっと無意識に口から出てしまう質で、

上司や同僚から、お前はいつか機密を漏らして処罰されるぞ、

と何度となく苦言を呈されてきた。

幸い、所属している斥候隊の長が人格者であるため、

なんとか罷免されずに済んでいる。


(董卒伯、ごめんなさい!)


そう、今までも散々尻拭いをしてもらってきた直属の上官へ、

胸中深く詫びを入れるていると、

まさかそんな質問を返されると思ってなかったのだろう楽進が、


「あ・・え、私は、その・・・・・・・・はい。」


と、しどろもどろになりながらも律儀に肯定した。

頬にある十字の古傷をしきりに指先で掻きながら、

恥ずかしそうに目を伏せる様は、大変眼福であるものの、

困らせてしまったのは明らかで、気まずい沈黙にの焦りが加速する。


「・・・は!そっか!恐れながら、もしや将軍は斥候隊に下知を御下しになるため、

私を呼び止められたのでしょうか?」


ならば何なりと御命令を、と少しだれ気味だった敬礼をびしっと構え直すと、

楽進はいよいよ困惑した様子で、


「い、いえ。私はただ、貴女の後ろ姿が見えたので、

つい追いかけてきてしまっただけで・・・」


と早口に説明し、途中ではっとなって手で顔を押さえた。

蒼い頬当ての後ろに見え隠れする両耳が、みるみる赤く染まり、

おろおろと視線を泳がせる上官殿を見ている内、

なぜかまでが羞恥で居た堪れなくなる。

ダラダラと理由の分からない汗をかきながら、

何か話を逸らさねばと口を開きかけた時、未だほんのり頬を上気させた楽進が、


「・・・私が帳下の吏であった頃の顔見知りは、随分減りましたから。」


と、寂しそうに呟いた。

斥候隊はその任務の性質上、記録係である帳下の吏に報告を上げる事も多い。

も数えるほどではあるが、楽進の元へ直接足を運んだ事があった。


(なるほど、身を案じて下さったのか。)


偵察任務は敵に遭遇する危険性が格段に跳ね上がるし、

部隊の規模を考えると戦死者数の割合も多い。

挙句、伝令などを携えて捕まったひには、

敵からどんな陰惨な拷問を受けるか知れたものじゃない。

人員の入れ替わりが激しい部隊にあって、

幸いな事には生還を果たし続けているが、次も無事に帰ってこれる保証はどこにも無かった。


「過分な心遣い誠に痛み入ります。必ずや将軍のご期待に添えますよう、

責務を全うして参ります。」


斥候兵など使い捨てだと公言して憚らない将も少なからず存在する中、

さほど親しくも無い一兵卒に、自ら慰労の言葉をかけてくれる。

甘酸っぱい憧れを抜きにしても、この人物の為に死ねるならば悔い無し、

は強く思った。


「あまり、そのように畏まらないで頂きたい。

元々は私も殿と同じ兵卒だったのですから。」


地面すれすれまで頭を下げて謝意を表すに、

彼女の憧憬の的は苦笑を浮かべながら、立ち上がるよう促した。


「それに、私が一番槍を自負出来るのも、貴女方の迅速な索敵と、

緻密な地形報告があればこそです。感謝するのは私の方だ。」


ありがとうございます、とどこまでも謙虚な姿勢を崩さない楽進から礼を言われ、

じぃぃんと感動に胸が熱くなる。


(私、次の偵察で死んでも良い!)


と、緩みそうになる顔を引き締めて、もう一度深く敬礼すると、

真面目な上司を労うように


「大丈夫です!この隆々に乗った私に、追いつける者などおりません!

何しろ馬術の腕のみを買われて斥候隊に身を置いておりますので!」


そう、黒い駿馬の背をぽんぽんと叩いて、自信満々に胸を張った。

北の匈奴や西の姜族もかくや、と軍内でも噂されるの技量は決して味方贔屓ではなく、

小柄な体格ゆえの軽さも相まって、完全に逃げに徹すれば捕まえられる敵はまず居ないと言われている。

だからといって付け上がるな、といつも拳骨を落としてくる部隊長の険しい顔が一瞬思い浮かんで、

はぞわっと這い上がる寒気に身震いした。


(あぁぁ、また調子に乗っちまった!よりにもよって楽将軍の前で!)


実を言えば、ただ馬術のみが異様に特化しているだけで、兵士としての資質は無いに等しいである。

剣も駄目、弓も駄目、非力な上に体力も無く、おまけに文字の読み書きも出来なければ礼儀も知らぬ。

斥候隊に所属していなければ大よそ使い道の無いただ飯ぐらいなのだ。

それで良くあんな大口が叩けたものだと、我ながら先ほどの言動に人目も憚らず頭を抱える。


「そ、それでは、私はこれにて失礼致します!」


これ以上ぼろが出る前にさっさと退散しなければと、のんびり草を貪っていた愛馬の手綱を引き、

挨拶もそこそこに逃げ出そうとするを、


「少しだけ待ってください!」


そう、慌てたように楽進が呼び止めた。

一体何用かと驚いて足を止めれば、彼は頬当てを固定している長い帯の端が地面についてしまうのも構わず、

足元に屈み込み、可憐に咲き零れる蒲公英を一輪摘み取った。

どうかこれを、と差し出された日輪のように明るい花を、おっかなびっくり受け取れば、


「御武運をお祈りしています。」


と、彼らしい爽やかな笑顔と共に、どんなお守りより効き目がありそうな言霊を贈られる。

今度こそ隠しようも無く首まで紅を刷いたが、

あわあわとまともに礼も言えず狼狽えれば、楽進も照れたように、


「その花が、私の代わりに殿を守ってくれると良いのですが。」


などと言ってはにかむのだから、堪らない。

かろうじて取り繕っていた礼節もどっかに吹っ飛んでしまい、


「し、しばしお待ちを!私も、私も将軍に!!」


と貰った花を急いで耳の上に挿し込むと、馬の手綱も放り出し、その場にしゃがみ込んだ。

大慌てで手近に群生している蒲公英の中から一番綺麗な一輪を掴み取ると、

その輝く花弁に触れるほど唇を近付けて、一心不乱に呪詛を注ぎ込んだ。


(どうか、楽将軍が今回も一番槍を果たせますように!お怪我をなさいませんように!それからそれから、

敵将をたくさん討てますように!後、出来ればまたお話する機会がありますように!)


と、可憐な野花に託すには多すぎる願いを唱えている内に、

遥か遠くから銅鑼を連打する音が聞こえてくる。


「うわぁぁ、もう集合の合図!?」


と、悲鳴を上げたが、それでも恭しく楽進の前に跪き、握りしめていた蒲公英を両手で捧げた。


「どうか、楽将軍も御武運を!!」


気合が入り過ぎて顔が真っ赤に紅潮したが、唾を盛大にまき散らしながら思いのたけを叫べば、

楽進は、


「ありがとうございます。殿から頂いたとあらば、私にとって何にも勝る鼓舞となりましょう!」


と、元はそこらに生えた草であるにも関わらず、心底嬉しそうに受け取った。


「それでは、これより任務に向かいます!」


失礼致します!と、憧れの君が浮かべた極上の笑みをしっかり拝む暇も無く、

は困惑する愛馬をけしかけて駆け出した。

途中抑え切れなくなって、ふひひひと気持ち悪い笑い声を棚引かせながら、

浮かれ気味に蒲公英の園を蹴散らすは気付かない。

無邪気な羨望を寄せている男が、手の中の可憐な日輪へと愛おしげに口付けを落とした事を。

そうして、不治の熱病を患う者特有の狂おしい眼差しで、彼女の背中をいつまでも見送っていた事を。












『 さしもしらじな もゆるおもひを 』 














〜13/05/31


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