※ caution ※

・もともと無双4設定→無双7仕様に書きかえ
・捏造&矛盾でお腹一杯
・オリキャラ氾濫
・山田に夢見すぎ
・張虎(張遼息子)なんておらんかったんや!

以上の項目をお許し頂けると大変有難いです。


































どんなに毎日頑張っていても、

人間生きていれば一度くらい、自分が世界で一番不幸なんじゃないかと感じる事がある。

これまでの努力を全て否定し、

自分は誰からも必要とされていない無価値な存在であると絶望してしまう。

は今まさにそんな気分であった。


「ちっくしょぉ・・・ばっきゃろぉぉ・・・」


場末の酒家の真ん中に陣取って、

手酌で杯に酒を注ぎながら、酒臭い息で悪態をつく。

年頃の娘、といっても今年20を迎え、行き遅れの感は否めないが、

それでも十分に若いと言って良い女が一人飲んだくれている様は、

あまり見れたものでは無い。


「お嬢ちゃん、いい加減その辺でやめときな?」

「うるへー!!わたひがわたひの稼いだ金で酒飲んで何が悪いっての?ぇえ?」


さすがに見兼ねたのか店の主人がやんわりと忠告してくるも、

すっかり悪酔いしてしまったは聞く耳持たぬとばかりに杯に注いだ酒をぐいっと飲み干した。


「ッぷはー!!うひひひ、もうね、もうね、今日はぱぁーッと飲んじゃうんだもんねー。

あんな奴にやる金なんざ、金なんざ・・・・っく・・ふ・・・ぅわあああぁぁん!!!」


一体誰に話しかけているのやら、あんなやつぅぅぅッ!と卓の上に突っ伏して突然泣き出したに、

酔っ払いのあしらいには慣れているはずの店主でさえ、こりゃ駄目だと早々に退散してしまう。

残されたは、ずずっと鼻を啜りあげると、再び手酌で杯に酒を注いだ。














『 拾って下さい。 』












最初、は言われた事が理解出来なかった。

今日も昨日と変わらず良い天気で、

空は雲ひとつなく晴れ渡り、風は汗ばんだ肌に心地よい涼しさを与えてくれていた。

同僚の女官が恋人からの言伝を預かったと言ってきた時は、一体なんだろうと訝しんだものの、

会いたいと言われれば嬉しくないはずもなく、

ろくに昼食も食べないままいそいそと指定された武器庫裏までやってきたのだが。


「俺、今度結婚することになったから、お前とは別れるわ。」


15歳から5年間、青春の全てを捧げた恋人は、

悪びれた様子も無く、まるでちょっとした冗談のように別れ話を切り出した。


「え・・・清苑・・・なに、いってるの・・・?」

「いや、だからさ。張将軍の副将やってる周撰っておっさん知ってるだろ?

そいつがさ娘を嫁に貰ってくれないかって言ってきてんのよ。この俺に!」


っひゃー、とうとう俺にも運が回って来たってやつ?と一人舞い上がっている男を尻目に、

の思考は完全に機能を停止していた。

なんで?どうして?という疑問符だけが、くるくると頭の中で回り続ける。


「まぁ、お前には色々世話になったし、今の俺があるのは全部お前のおかげだと思ってるぜ?

けど、これを断っちまったら二度と俺の出世は見込めないわけよ。」


俺に偉くなって欲しいって一番言ってたのお前じゃん?と、

さも仕方ないんだといった口調で説得してくる恋人を、は目を見開いてじっと見つめ返した。

確かに、はこの恋人がいずれ立派な将軍になると信じて疑わなかった。

恋は盲目とはまさに彼女のためにあるような言葉で、

戦で良い働きをするために新しい剣が必要だと言われれば、街で一番の鍛冶屋に出向き、

上司を接待するために酒宴が開きたいと言われれば、彼の変わりに酒家へ代金を支払った。

つい先日も、什長になったお祝いに馬が欲しいとねだられ、

薄給を切り詰めてこつこつ蓄えた貯金を全部はたいて買ってやったばかりだ。

それもこれも、恋人に出世して欲しいとが望んだ結果であった。


(そっか、そうだよね。偉くなって欲しいって思ってたの私だもんね。)


だけど、それはいずれ夫婦になってくれると信じていたからではなかったか?

共に残りの人生を支え合って生きてくれると願っていたからじゃなかったか?

だんだんと上がってくる怒りに、ふふふ、とが笑いを零すと、男はそれを了承と取ったのか、


「そうか、分かってくれるか!いやぁ、正直、別れないって粘られたらどうしようかと思ってたんだよ。

さっすがは物分かりが良くて助かるぜ。やっぱ女は素直が一番だよなぁ。」


都合の良い解釈を並べ立てては、能天気にこちらの肩を抱いてくる。

その腕をゆっくりと払いのけながら、はぷちんと自分の中で何かが切れる音を聞いた。


「っっっふざけんなぁぁぁぁぁッ!!!!!!」


腹から吐き出された怒号と一緒に、強く握りしめられた拳が男の左頬に勢いよく突き刺さる。

さすがに什長まで成り上がっただけあって、女に殴られたくらいでもんどり打って倒れることは無かったものの、

不意打ちをくらって見事にのけぞった。


「っつー、てめぇ何しやがる!!」

「うるさいっ!!この裏切り者!!今すぐ私があげたもの全部返せッ!」


口の端から血が出ているのを確認すると信じられないという顔で唸る男に、

も負けじと金切り声を張り上げた。

この大嘘つき!碌でなし!!

口から飛び出すのは不実な恋人に対する恨みごとばかりなのに、

心の底では行かないで捨てないでと泣いている自分が居る。

だが、つい昨日まで甘え声で擦り寄って来た恋人は、まるで別人のようにハッと鼻で笑うと、

そんなもん知らねぇよ、と冷たく吐き捨てた。


「てめぇが頼んでもいねぇのに勝手に世話焼いてたんだろがッ!

何かっていやぁ女房面しやがって、いい加減うんざりしてたんだよ!!」


重たいんだよ、お前。

恋人の口から発せられた思いも寄らぬ言葉に、

は頭から冷水を被ったような衝撃を受けた。


(愛してるって・・・言ったのに・・・)


この男に頼りにされている、必要とされているんだと信じていた。

それなのに、全部無かった事にするのか?

5年間積み重ねてきた思い出も、愛し合っていた時間も!?

あまりの悔しさに、眩暈がする。

上手く、息が出来ない。


「てめぇみてぇな野暮ったい女に5年も良い夢見させてやったんだ。

むしろ感謝してもらいたいもんだぜ。」


男は最後まで自分勝手な捨て台詞を吐くと、じゃあな、と言い残し踵を返した。

立ち尽くすに、それを止める術などあるはずもない。

追い縋ったところで、最初から男の心にはなんか存在しなかったのだから。

男を殴った右手だけがやけにじんじんと痛んだ。






























そのまま、は仕事に戻る事なく女官の宿舎に帰ると、

全財産を引っ掴んで我武者羅に城下へ飛び出した。

職務を放棄したうえに無断外出、門限違反、これで罷免されなかったら奇跡だ。

明日の今頃には少ない私物もろとも城から叩き出されているだろうが、正直どうでも良い事に思えた。

けれど、いざ金を使おうにも、

これまで仕事一筋、派手に遊んだ事など無いである。

一体どこへ行って何をすれば良いのかも分からず、

日が暮れるまでウロウロと街を歩き回った挙句、

結局は元恋人が良く飲んでいた酒家へと腰を落ち着かせた。







飲めもしない酒を無理やり喉に流し込みながら、

恨み辛みを卓の上の酒瓶に喚き散らして数刻。

もはや日付も変わり、店の客層も深夜の猥雑なそれへと変化していたが、

は一人卓にへばりついていた。


「どうせねぇー、私は野暮ったい女ですよぉ。貢ぐしか能の無い女なんですよぉぉ。」


だって他に何が出来るというのだ。

しがない地方の貧乏役人の娘で、とりたてて美人というわけでもなく、

豊満な肉体も妖艶な色香も持たない、ただ真面目に堅実に生きることしか知らない自分に。


(若かったんだよねぇ・・・ホント)


が清苑と付き合いだしたのは、まだ女官として宮城に務めるようになったばかりの頃だった。

同じように兵卒に志願したばかりの清苑とは、

年もさほど変わらなかったせいか、

お互い慣れない環境の中で、自然と二人寄り添うようになっていた。

いつか将軍になって軍を動かしてやるんだ、と身の程もわきまえない大口を叩く若造が、

きらきらと輝いて見えたのだ、あの時は。

励まし合い、慰め合い、ここまで二人で頑張って来た。

あれも嘘だったのだろうか?


「ぬぁぁぁにが全部お前のおかげよ・・・っく、馬鹿にすんのも大概にしろってんだ。」


このフニャチン野郎ー!!ととても素面では言えないような台詞を吐けば、

場末の酒場らしい、いかにも柄の悪そうな客達でさえギョッとなっての方を凝視する。

それがなんだか可笑しくてケラケラと笑い声を上げると、

急に天井が回り出して、思わず卓の上に突っ伏した。




本当は薄々気づいていた。

男に結婚する意志など無いという事。

5年も付き合っておきながら、その話題が出るといつも逃げ腰だった。

女官仲間からも散々あの男はやめておけと忠告されたのに、聞く耳を持たなかったのは自分だ。


(そうよ、馬鹿だったのは私・・・。)


恨むなんてお門違いだ。

ずるりと顔を横に向け、重たい瞼をうっすらと開ければ、目尻からほろりと涙の粒が零れおちる。

結局、寂しかっただけなのかも知れない。

誰かに必要とされたい。愛されていると思いたい。

そんな弱さが見せる幻に必死でしがみ付いたのだ。

現に、あれほど好きだった男の姿を頭に浮かべようとしても、ぼんやりと霞みがかっていて。


(もう、顔も思い出せないや・・・・)


ああ、このままじゃ意識を失うな、と他人事のように考えていると、

店内が急にざわざわと騒がしくなった。


「こ、これは・・・うぐんさ・・・こ・・なやす・・うでございましょう?」

「しゅじ・・・わるいが・・・もの・・・わたしが・・・る。」


どうやら新しい客が来たらしいが、常ならぬ店の主人の慌てぶりが妙に滑稽で笑えてくる。


(んふふ、変なのぉ・・・・)


もうここが何処かも、自分が何故ここに居るのかも、

店が閉まれば道端に放り出されるであろうことさえ、

遥か遠い他人事に思えて、はそっと目を閉じる。

そこでぷっつりと記憶が途切れた。


























ズキズキと頭蓋骨を締め上げられるような痛みに無理やり起こされて、

は腫れ上がってヒリヒリする瞼を仕方なく持ち上げた。


「・・・・っつー・・・・」


あまりの痛さに思わず声を上げれば、びっくりするほどの嗄れ声で、

元々最低な気分が更に急降下していく。

胃はしくしくとした痛みと、むかむかとせり上がってくる吐き気を同時に訴えており、

口の中は乾いているくせに粘ついていて、嫌な味がした。

これが世に言う二日酔いというやつだろうか。

だとしたら、人生でも一位二位を争う不快感だ。

この先、どんなに嫌な事があっても自棄酒だけは飲むまいと心に誓いながら、

もぞもぞと二度寝するべく布団に潜り込んで、はた、と気付いた。



自分は昨晩、酒家で酔い潰れ、そのまま眠ってしまったのではなかったか?



すると申し合わせたかのように、


「・・・・ん・・・起きたのか?」


と、すぐ隣から聞きなれない声が聞こえてきた。


「っっ!!?????」


声にならない悲鳴を上げ、即座にそちらへと振り返れば、

そこには、まるで当たり前のように見知らぬ男が同衾していて。


きゃぁぁぁぁぁあっ!!


と、若い娘らしく絹を引き裂くような悲鳴を上げられれば良かったのだが、

如何せんそれより早く米神に激痛が走り、は布団へと撃沈した。


「・・・まだ辛いのであろう?もう少し寝ておけ。」


男の方はといえば、の慌てぶりなど意に介さぬといった様子で、

面倒くさそうにそう言うと、その切れ長の瞳をしょぼしょぼさせて再び眠りへと落ちてしまう。

正直に言えばとてこのまま寝てしまいたかったのだが。


(そんなわけにはいきますか!!)


頭痛を堪えて身を起こそうと試みるものの、隣の男ががっちりとこちらの腰に腕を回していて、

ちょっとやそっとの抵抗じゃびくともしなかった。


(な、なにこれ。これじゃまるで・・・・)


恋人同士では無いかと、そこまで思い至って、かぁぁっと顔が赤くなると、

慌てて着ているものを確認する。

しかし、5年間着続けた馴染みの女官服は影も形も見当たらず、

真新しい絹の夜着のみを肌の上から纏った状態だった。

さぁーっと血の気が引いていく音が聞こえる。

まさか。

まさか、酔った勢いで行きづりの男と、


(致しちゃったっていう・・・の・・・)


いくら失恋して自暴自棄になっていたとはいえ、

自分は両親に顔向け出来ないような行為をしたというのか。


「・・・ぅわぁああああ!もうお嫁にいけないぃぃ!!」


立て続けに起きた出来事に思考がついていかず、

混乱したはまるで子供のようなべそをかき始めた。

一度関を切った不安はやがて絶望へと加速していき、

昨夜散々泣いたはずなのに涙が後から後から零れ落ちる。

あれほど大切にしていた恋人は、もういない。

こつこつ打ち込んできた女官の仕事もたった一晩の愚行で失った。

挙句、女として最低限の貞節まで自分は手放してしまったのだろうか。


(なんにも無くなっちゃった・・・)


が己の情けなさに肩を震わせて嗚咽を押し殺していると、

てっきり眠っているとばかり思っていた男がぬっと太い腕を伸ばしてきて、

強い力で抱き寄せた。


「心配せずとも、酔った女に不埒な真似など致さぬ。」


お前が吐いたせいで服が汚れたから、着換えさせただけだ。

男は半分眠りながらそう言うと、労わるようにの背中を大きな手で何度も撫でた。

男からは邪な気配など微塵も感じられず、まるで幼子を慰めている様子だ。

微温湯のように心地よい体温と耳に響く低い声が、の緊張をゆっくりと解していく。

おそるおそる目の前にある厚い胸板に額をくっつければ、どういうわけだか物凄く安心した。


「泣きやんだな。では寝ろ。」


わたしもまだ眠い、と最後の方は聞き取れないほどの寝ぼけ声で呟いて、

男はすうっと再び静かな寝息を立て始めた。


「あ、あの・・・・・」


が戸惑いがちに声をかけても、もはやすっかり夢の中のようで、ぴくりとも反応しない。

見知らぬ女を抱いて、よくもまあこんなにぐっすり眠れるものだと呆れ返って、

はまじまじとすぐ側にある男の顔を眺めた。

日に焼けた肌、高い鼻梁、意志の強そうな眉、引き結ばれた薄い唇。

今でこそ閉じられているが、眼光鋭い切れ長の瞳は見つめられると恐いとさえ感じた。

そして、何より特徴的なのは綺麗に整えられ口髭だ。


(どこかで見た事があるような・・・・)


ガンガンと後頭部を鈍器で殴られるような痛みに耐えながら、

は必死に記憶の中を探ってみるが、知り合いに心当たりは無かった。

だが少なくともこの男のお陰で、道端に放り出されずに済んだのだ。

しかも、酔い潰れたをここまで運んで、わざわざ汚れた服まで着替えさせてくれている。


(とにかくお礼を言わないと・・・・)


抱き枕よろしくガッシリと腰に回された腕に、どんな意味があるにせよ、

世話になった事は間違いないのだ。


(もしかしたら、犬猫を拾ったのと変わらないのかも・・・)


ぐぅぐぅと穏やかな男の寝息を間近で聞いていると、

あれやこれやと疑っている自分がだんだん馬鹿らしくなってくる。

身動き出来ない不自由な体制で、それでも薄暗い部屋の中を見回せば、

窓の隙間からはまだ朝日が差し込んでくる様子も無く。


(もう少しだけ寝かせてもらおう。頭も痛いし。)


悩んだところで、いまさら現実は変えられない。

我ながら図太いなと呆れつつ、そう開き直ると、

は出来る限り楽な体制をもぞもぞ探し出し、全身の力を抜いた。

目を閉じれば、触れている部分から規則正しい男の鼓動が伝わってきて、幸せな気分になる。

他人の体温とはこれほど心地よいものなのだろうか。

潮騒のように寄せては返す睡魔に意識を委ねながら、

はそういえばまだ名前も訊いていなかったことに気付く。


(起きたらちゃんと・・・名前・・・聞かなきゃ・・・・)


そう胸に刻んで、は考える事を放棄した。





















「もし・・・もし、お嬢さんよ。そろそろ起きんかね?」


飄々とした調子の声が遠くに聞こえたかと思うと、

の意識は一気に覚醒した。

同時に昨日からこれまでの記憶が流れるように脳裏を通り抜け、

慌てて飛び起きる。


「そうだ!名前ッ!!」


思いついたままそう叫んで周囲を見渡すけれど、

あるのは広い寝台と寝乱れた掛け布だけで、

あの非常識だが親切な男はどこにも居なかった。


「あ、あれ???・・・」

「おうおう、そんだけ元気なら大丈夫だぁな。」


一体いつの間に起きたのか、全然気付かなかった自分自身に歯噛みするへと、

再び飄々とした笑い声がかけられる。

慌てて居住まいを正し、そちらに向き直れば、

痩身の老人が杯を手ににこにこしながら立っていた。



「喉が渇いておるだろ?まあ、飲みなされ。」

「ど、どうもありがとう・・・・」



そう言って渡された杯にそっと口づけながら、

は訝しげに目の前の老人へと視線を注いだ。

痩せて間接の目立つ手足に総白髪の小さな髷。

顔は日に焼けて皺だらけだし、これまた真っ白な眉毛は長く伸びてへの字を描いている。

口調も柔らかく、一見好々爺といった雰囲気なのだが、

顔の真ん中を横一文字に切り裂く古傷と、全身から発せられる得体の知れない迫力が、

この老人を浮世離れさせていた。


(どう見ても堅気には見えないんですけど・・・・)


実はここは売春宿で、この人は逃がさないための見張り役だったりして。

などと根拠の無い妄想で不安になっていると、


「心配せんでも、わしゃ唯の家人だよ。そう怯えなさんな。」


の考えなどお見通しとばかりに老人はひょっひょっと笑ってみせる。

図星を突かれたのを引き攣った笑みで誤魔化し、

内心ドキドキしながら、おそるおそる杯の中身を口にふくむ。

乾いた口内に冷たい水の甘みが広がり、そのままごくごくと一気に全て飲みほした。

ぷはーっと盛大に息を吐いてから、

空っぽになった杯を、ありがとうございます、という感謝の言葉と共に差し出せば、


「おうおう、良い飲みっぷりだ。そいじゃ、ほいこれ着替えね。」


変わりに綺麗に畳まれた女官服が返される。


「一応洗濯しといたけども、若い娘があんなになるまで酒飲んじゃいけないねぇ。

吐くわ暴れるわで昨夜は大変だったそうだよ?

ま、わしの若い頃なんざ、もっと酷かったんだけどもね。」


半分からかい口調で老人はそう窘めると、

すぐ側にある、木目の美しい卓の上に受け取った杯を置いた。

良く良く見回せば、寝台の天蓋は恐ろしく手の込んだ刺繍が施されているし、

壁一面に描かれた草木の模様は相当腕の良い絵師によるものだと分かる。

部屋のあちこちに飾られた調度品も高級感がぷんぷん漂っており、

そこそこ繁盛している商家だってこんな部屋には住めないだろう。

現に先ほどが水を飲んだ杯でさえ、ちょっと見れば見事な七宝細工に気付いただろうが、

残念ながら今のはそれどころでは無かった。


(うわぁ・・一体何したんだろ私・・・)


当然だがには昨夜の記憶など一切ないため、余計恐ろしい。

是非とも詳しく訊きたいところだが、訊いたら訊いたで物凄く後悔しそうな気もする。


「あの・・ごめんなさい。私、何にも覚えてなくて・・・」

「ほうほう、そりゃあ良かった。そのまま忘れておいた方がお嬢さんも幸せってもんだぁね。」


随分迷惑をかけてしまったのだろうと慌てて謝ると、

老人は軽い調子とは裏腹に意味深な言葉を返してきた。

え?え?と途端に顔を青くして右往左往するに、

老人はニヤニヤ人の悪い笑みを浮かべながら、冗談じゃよ、と前言を撤回する。


「お嬢さんは素直だねぇ。ま、大将があんたを嫁さんに選んだのも分かる気がするよ。」

「はぁ、そうでしょうか・・・・って、よ、嫁!?嫁って何の話ですか!!?」

「ありゃ?違ったんかいの?わしはてっきりそのつもりなんだと思っとったんだが・・。

何しろ屋敷に女を連れ込んだのはこれが初めてだからのぉ」


しもうた、まだこれからじゃったんか、と胡麻塩を散らした様な不精ひげをボリボリ掻きながら、

老人はさして気にした様子も無く笑っている。

はなんだか二日酔いがぶり返した気がして頭を抱えた。


「ま、気にしなさんな。今は違っても、いずれ嫁になる。

わしはこの家の、まぁ小姑みたいなもんかの。梁元という。元爺とでも呼んどくれ。」


大将とは長い付き合いだから何でも訊きんさい、と言われ、

色々と反論したい気はするものの、まずは彼の言う大将とやらの名前を訊く事にした。

十中八九、一緒に眠っていたあの男の事だろうと予想して、

口を開こうとしただったが、ふと部屋の中が妙に薄暗い事に気付く。

二度寝する前とさして変わらぬ暗さのような気もするが、嫌な予感がした。


「あの、今時分、日はどれくらいの高さなのでしょう?」

「んん?何を言うとるかね。もう暮れかかっとるだろ。」


さらりと答えた梁元に、は掴みかかる勢いでえぇ!?と叫んだ。


「じゃ、じゃぁ、私、丸一日寝てたんでしょうか!?」

「ああ、そうなるかね。まぁ、随分飲んでたみたいだったし、二日酔いが酷かったんだろて。」

「ど、どどどどうしよう!早く帰らないと!!」


昨日に引き続き今日も無断欠勤とは、もう完全に罷免だ。間違いない。

申し開きの仕様も無いが、せめてきちんと謝りにいかねば。

泥鰌髭を生やしたひょろりと細い色白の上司は、

怒るとネチネチ痛烈な嫌味を何時間も吐き続ける事で有名だった。

涙目で女官服を広げ始めたに、梁元はささっと後ろを向くと、杯を片手に部屋を出ていく。


「もうこの際仕事なんて辞めちまって、ウチの嫁になりんさいよ。」


扉の向こう側から聞こえてくる老人の軽口に、はギリギリと歯噛みしながら、

勢い良く絹の夜着を脱ぎ捨てた。


















髪をお座成りに結い直して、バタバタと屋敷の外に出ると、

既に空は夕焼け色に染まっていて、藤色の雲が細く棚引いていた。

ちょっとした関所より大きな屋敷門を潜り抜け表通りに出れば、

家路を急ぐ人影もまばらで、をよりいっそう焦らせる。


「せめて大将が帰ってくるまで待てんかね」


見送りよろしく門前に立つ梁元がのほほんと他人事のように言うのを、

ぶんぶんと首を振って拒否して、


「色々ありがとうございました。御主人様にはいずれ必ずお礼を申し上げに参ります。」


早口にそう捲し立てるとぺこりとお辞儀をした。


「なんなら宮城まで送ろうかい?」

「大丈夫です!この辺りなら道も分かりますから!!」


梁元の声を背中に訊いて、既に駆け出し始めていたは足を止めないまま振り返り、

出来る限り大声で叫んで手を振った。

気を付けてなぁ、という返事が風に混じって聞こえたが、

はもう振りかえらなかった。

今の時間帯ならまだぎりぎり部署が開いているかも知れない。

そうでなくとも最近忙しいから上司だけなら残業しているかも知れない。

そんでもって上手く説明すれば謹慎には処されても罷免は免れるかも知れない。

はぁはぁと荒い息を繰り返しながら、

今まさに太陽を追って沈もうとしている三日月より細い希望に縋って、

はひたすら走った。

夕暮れ時の涼しい風が火照った頬を撫でていく。

それにしても、と周囲の街並みを見渡して、立ち並ぶ立派な屋敷に目を見張った。

ここはのような下っ端の女官には全く縁の無い、

高位の文官武官が住んでいる区域だ。

有事の際はすぐさま駆け付けられるよう、宮城にも比較的近く、

道も、騎馬が走りやすいよう広く固く舗装されている。

ここに屋敷を構えているということは、それだけで地位が高いという証拠なのだ。

急に走ったせいで絞り上げるような痛みを訴える脇腹を押え、

は今朝見た男の顔を必死になって思い浮かべた。



(やっぱりあの髭どっかで見た事あるんだけどなぁ・・・)



案外物凄く偉い人だったりして、と冗談で脇腹の痛みを紛らわせながら、

だんだん近くなってきた宮城の赤い屋根を目指し、せっせと足を動かした。

下男や女官が通る裏門を顔見知りの門兵に挨拶しながら通り抜け、

は務めている官舎へ向けて石畳の渡り廊下をひた走る。

立場上、上位の役人と擦れ違えばその都度いちいち止まって拝礼せねばならないため、

思うように先へと進まず苛々する。


(もう!こっちは急いでるのに!!)


出来る限り人通りの少ない道順を選び、なんとか部署まで辿り着いただったが、

まさにその目の前で衛兵が扉に錠を落とした。


「あ、あのッ・・中には、もう、誰も、残って・・・いらっしゃらないのッでしょうか。」


額から噴き出す玉の汗を何度も手の甲で拭いながら、

息も絶え絶えに尋ねると、よりもっと若そうな兵士は困惑した様子で、


「つい先ほど、最後の一人が帰った所だよ。」


と申し訳なさそうに告げた。


(あぁ、終わった・・・何もかも・・・・)


愕然と立ち尽くすは、余程ひどい顔をしていたのだろう。

まだ新米といった感じの兵士にさえ、あんまり気を落とすなよ、と同情されて、

ますます惨めになる。

さすがにその場で膝をつくようなみっともない事はしなかったが、

必死に走った分の疲れが今頃になってどっと全身に圧し掛かってきて、

はヨロヨロとその場を離れた。


(ううう、さようなら、私の女官生活・・・)


今夜のうちに荷物をまとめておけば明日が楽だわ、などと、

後ろ向きなのか前向きなのか良く分からない事を考えつつ、

長い廊下を女官寮まで歩いてくると、


「ちょっと!あんた昨日から一体どこ行ってたの?楊官吏がカンカンに怒ってたわよ。」


パタパタという足音とともに、女官が一人走り寄って来た。

あの青瓢箪、今日一日機嫌が悪くて大変だったんだから、と訴える友人に、

御免ね、と全く気持ちの籠っていない謝罪をすれば、

彼女はハッと息を飲んだ後、急に心配そうな声音に変わった。



「ちょっと何その酷い顔色。それに、髪も服も滅茶苦茶。一体何があったの???」



2つ年上で姉御肌の親友はそう言うと、両手でそっとの両頬を包み込んだ。



「う、うう、悠琳〜!」



ようやく自分の家に帰って来た安心感からか、全身から力が抜けて、

は情けなく友の名前を呼ぶと、少し背の高い彼女に両腕を広げて抱きついた。

すると、それを聞きつけたのかすぐ目の前の扉が開いて、別の女官がひょこっと顔を出す。



「・・・あれ?じゃん。帰ってたの?丸一日さぼりだなんて、

もう女官辞めて清苑とこに嫁いじゃうつもりなんだと思ってた。」



何を隠そう彼女こそがにあの運命の言伝を告げた張本人で、

ニコニコと無邪気な笑みを浮かべ、止めを刺した。

途端にすっかり忘れていた元恋人とのやりとりが走馬灯のように頭の中を走り抜け、

小康状態だった涙腺を決壊させる。




「ふ、ぅえぇぇぇぇええん!!」




良い年をして廊下の真ん中で声を限りに泣きじゃくる友人に、

抱きつかれている悠琳はおろか、顔を出した女官さえも飛び出してきて、

二人がかりでを部屋へと運んで行った。














「だから言ったじゃないの!あの男は駄目だって!ぜんっぜん訊かないんだから!!」

「えー、でも顔はそこそこ格好良かったんじゃない?」


私は好みだったけどな、と横やりを入れてくる同僚に、

夏陽は黙ってて、と悠琳が眦を釣り上げる。

当事者であるはといえば、綺麗に畳んであった掛け布を頭からすっぽり被って、

ぐずぐずと鼻を啜るばかりだ。

食事時という事もあり、普段女官達が寝起きしている大部屋には誰もおらず、

密談するには好都合だった。

部屋の一番隅を陣取って、親友の説教が静まり返った部屋に響き渡る。


「おまけに仕事を放り出して自棄酒だなんて、何年女官やってるのよ、貴女!」

「そうだよ!一人で行っちゃうなんて酷いじゃん!言ってくれれば仕事終わった後にでも付き合ったのに。」


もちろん奢りで〜、とひらひら手を振る夏陽に、

逆恨みとは分かっていても、お前が伝言なんか引き受けるからこうなったんだと、は半眼で睨みつけた。


「ちょっと!、聞いてるの!?」

「ぅぅ、ごめんなさい。全くその通りです。」


慰めてくれるどころか痛い所をガンガン突いてくる親友に、ただでさえ丸まった背中がどんどん小さく縮んでいく。

すっかり項垂れて再びベソをかき始めたに、悠琳はふんっと短く溜息を吐くと、

今度は打って変わって優しい声で励まし始めた。


「まぁ、気持ちは分からなくも無いし、なんとか誤魔化してみましょう?

貴女は昨日の昼にお腹を壊して、それから吐くわ下すわで丸一日寝てた事にしなさいよ。」

「えー・・・高熱とかじゃ駄目なの???」


いくら仮病だとしても出来れば聞こえの綺麗な方が良いに決まっている。

おそるおそる別の症状を提案してみるも、ずっと同室で苦楽を共にしてきた親友は、


「駄目!高熱じゃ部屋に居なかったのを指摘された時言い訳出来ないでしょ?

下痢なら厠に行ってましたって言えば済むわ。」


そう言ってはっきりきっぱり一刀両断した。

悠琳の言い分はもっともで、反論の余地が無くなったはすごすごと掛け布の中に戻る。


「あと、連絡しなかった件については、私が頼まれてたのを忘れてたって事にするわ。

実際、昨日今日は猫の手も借りたいほど忙しかったもの。」

「悠琳〜!!」


自らも泥をかぶってくれようとする親友に、は思わず被っていた掛け布を跳ね上げると、

感極まって彼女に抱きつこうとした。

しかし、その間に割って入るようにして、夏陽がの突進を両手で受け止める。


「ちょい待ち!悠琳じゃ駄目だよ、あんたみたいな細かい女が頼み事を忘れるなんて有り得ないもん。」


細かい、と言われてカチンと来たのか、悠琳はその美しいがいかにも気の強そうな眉を寄せると、

じゃあ他に良い案があるのかしら、と棘のある物言いをする。

それを呆気らかんと受け止めて、夏陽は誇らしげに胸を張ると、


「私がその役を買いましょう。」


と、得意げに言い放った。それはちょっと不安だなとが悠琳の方を見れば、

しっかり者の親友も生ぬるい視線で同意してくる。

予想外の冷たい反応に、夏陽は唇を尖らせて反論した。


「あ、何その目!傷つくなぁ。これでも一応責任感じてんのよ?

それに、私だったらしょっちゅう言い付けられた仕事忘れちゃうから、

絶対疑われないって。こう見えて、嘘も得意だし!」

「あのね、それって全然自慢になってませんから。」


夏陽はもっと真面目に仕事しなさい、と説教を始める悠琳と、

ホント、悠琳は石頭なんだから、と全く取り合わない夏陽とに挟まれて、

はようやく元気を取り戻し、くすくすと笑い声を上げた。

その様子に友人二人も安心したのか、にっこり笑い合う。

なんだかんだ言って、彼女達もの事を心配していたのだ。


「でもさでもさ。私どっちかっていうとその親切な殿方の方が気になるわ〜。

酔い潰れた女を持ち帰っといて何もしないなんて、すんごい紳士じゃない?

きっと教養のある立派な身分の方よ?案外、玉の輿も有り得るかも〜!!」


ときめいちゃうー、と年相応の夢見る乙女な顔をする夏陽に、

しきりに結婚を勧めてきたのは家人の爺ちゃんだけどね、と苦笑いを浮かべる。


「はいはい。若いって良いわねー。そんな立派な方が私達みたいな身分の女を相手にしますか。

どうせその人からしてみれば、弱っている犬か猫を気紛れで拾ったくらいの気持ちよ。」


どこまでも現実的な親友は、夢見がちな後輩を鼻で一蹴した。

ああ、それは私も思った、とも諸手を上げて賛同したが、

口に出すと惨めな気持ちになるので黙っておく。


「ちぇ、悠琳はホントつまんなーい。お腹もすいたし、私食堂に行ってくる!」


子供のようにぶうぶうと悪態をつくと、

夏陽はじっとしているのは飽きたとばかりに勢いよく立ちあがった。

実は融通の利かない性格を気にしている親友はといえば、

憮然としながらも、つまらない?つまらないかしら?と独り言を繰り返している。


「ま、まぁ良いわ。もお腹すいているでしょう?一緒に食堂へ行かない?」


気を取り直して誘ってくる悠琳に、だがは曖昧な顔で笑って、


「ええっと・・私はいいや。まだ二日酔いが残ってるし。

それに、食べない方が病人っぽいでしょ?」


先に湯殿を借りに行くよ、と断った。


「でも、体に悪いわよ?本当に良いの?」


と心配そうに念を押してくる親友に、大丈夫と笑ってみせれば、

悠琳は後ろ髪を引かれながらも、早く早くとせかす後輩に引っ張られるようにして部屋を出ていった。

誰も居なくなった女官部屋は、しんと静まり返り先ほどまでの喧騒が嘘のようだ。

仕切りも何も無い広々とした板張りの床にころんと寝ころんで、は小さく溜息を吐く。

友人達のおかげで罷免の危機を回避できそうだというのに、

安心するどころか、胸にぽっかりと開いた風穴を再確認した気分だ。


(この先、何を目標に生きていけば良いんだろう・・・)


地方出身のにとって都で女官になるというのは幼い頃からの夢であったから、

名前も知らぬほど遠い親戚の推薦で仕官を許された時は、もう舞い上がって喜んだ。

だが、実際女官になってみれば、来る日も来る日も同じ雑用ばかり。

1年2年と時が経つほどに、自分の存在価値は薄っぺらくなっていった。

もし今回が罷免されたとしても、誰も困らないだろう。

すぐまた新しい女官が入って仕事を引き継ぐだけだ。

最初のうちは友人や上司なんかが悲しんでくれるかも知れないが、

それも数日の内に忙しい日常の中で溶けて消えてしまう。




「あーあ、もう郷里に帰っちゃおうかな・・・」




ぽつりと呟いては情けなく笑う。

色々と手を尽くしてくれている友人達には申し訳ないが、

それはとても魅力的な選択肢に思えた。

出仕して以来一度も会っていない両親の顔を思い浮かべ、

随分老けてしまっただろうなと寂しくなる。

しかし、故郷を懐かしむ心とは裏腹に、

次に頭に浮かんできたのは今朝隣で寝ていた男の顔だった。

名前も知らない恩人はどうして赤の他人であるを、

わざわざ連れ帰ってくれたのだろうか。

指先に出来た小さなささくれのように、

気になって仕方が無かった。



(もし、女官に戻れなかったとしても、ちゃんとお礼に行こう。)



そして、何故助けてくれたのか聞いてみよう。

あの変わった男の事だ、意外な答えが聞けるかも知れない。

そう考えると、ほんの少しだが未来に希望が沸いた気がして、

はもそもそと起き上がると、

湯殿に行くべく数少ない私物が入った棚を漁り始めた。


























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